3868 多磨全生園を歩く
国立ハンセン病資料館を見学して建物を出て、すぐ右手あった小径。
とくに目立った案内がなかったが、ここを抜けると、おそらく多磨全生園があるのは想像が付いていた。
森を抜けると、パッと空が広がった。
写真はそこからちょっと歩いたところで撮ったものだが、どこを歩いても、ほとんど似たような光景だった。
周囲はひっそりと静まりかえっていた。
病院をはじめとするさまざまな施設もあるものの、東京ドーム7~8個も入るという敷地に、現在の入所者数は、二百数十名しかいないわけで、静かなのも頷ける。
それは多磨全生園を隔てる森であり、先日行った写真展でも見掛けた、脱走防止のヒイラギの生け垣もあった。 現在は低く刈り込まれているようだ。
ふたたび園に戻ると、さっき見たのと同じような光景に出くわす。
かつて学校のあった、全生学園も跡地の碑だけが残されていた。
ここには、隔離された子供達が通っていた学校があった。
かつて脱走防止のために掘割を築かれたが、やはり、これも患者達の手によるものだった。
その残土を積み上げた山が、この「望郷の丘」だ。
園の外を眺めることのできる唯一の場所で、その名の通り、望郷の念を抱く患者らの憩いの場所だったはずだ。
療養所が開設された当時の建物は既になくなっているが、復元された建物もあった。
園の南側には、仏教やキリスト教といった宗教施設が集められていた。
他の建物とは違った洋館風の建物…近くまで寄ってみると理容室のようだった。今日はお休み?
さらに歩いて行くと、かなり新しい建物も…病院かな?
ショッピングセンターと書かれた建物もあったが、こちらも休みのようだった。
突きあたりまで歩いて行くと、鳥居がありその先には、小さな本殿があった。
地図には、永代神社と書かれてあった。
患者たちは、ここにどんな思いでお祈りをしたのだろう。
鳥居越しに見える療養所を見て何を思っただろう。
さっきまで明るかった空が、急に薄暗くなってきた。雨の降る状況をレーダーで見ると、すぐ近くでも激しい雨が降っていることがわかった。
急いで帰った方が良さそうだ。
来週の参院選をひかえ、選挙ポスターの掲示板が、園内の案内版を遮るようにして立っていた。もうちょっと配慮してくれても良いのに…。
全生園の正面入口まで歩いてきた。
案内図や説明板の場所を示す地図を見つけたが、もうちょっと早く確認しておけばよかったと、ちょっと後悔。
最後の最後になって、園内の道路に引かれていた白線の意味を知った。
ただのセンターラインだと思っていたら、この施設ならではの理由があったのだ。
ふたたび、バスに乗って清瀬駅に向かう。
ここまで、なんとか雨に濡れずに済んだ。