3867 国立ハンセン病資料館を見学して

博物館・展覧会,物思いに耽る(雑感)

電車とバスを乗り継ぎ、国立ハンセン病資料館にやってきた。

入口には、母子遍路像があった。

砂の器を思い出せば、この像の意味することろは想像がつく。

解説によれば、ハンセン病を発病すると四国遍路に出る人が少なくなく、病気によって生活の糧を失った者達は、接待の施しを頼ったのだ。

病気なのだから、絶対に安静にすべきなのに、住む場所はもとより、食べることにすら事欠き、その結果、遍路せざるを得ない境遇追い込まれた彼らは、どういう思いだっただろう。

国立ハンセン病資料館は、残念ながら、館内撮影不可のため、写真を撮ることができなかったが、ハンセン病のための“療養所”は、想像以上に過酷な歴史があった。

ひとたび発病すれば、激しい差別を受け、療養所へ強制的に入所させられ、一生外へ出られなかった。

療養とは名ばかりで、ろくに治療も受けられなかった。

療養所内での作業は、ほぼすべて患者によってまかなわれた。土木工事からガーゼや包帯の再生、重病患者には症状の軽い患者が看病。そして亡くなった患者の火葬までも、患者によって行われたという。

また、療養所の考えや方針に批判的だったり、逃走を繰り返すと、酷い懲罰さえ待ち受けていた。もはや療養所というよりも、収容所だった。

住み慣れた土地を離れ、隔離された療養所で、病気が悪化してく苦しさ…。

針で刺すような痛みが、昼夜問わず連続して続くため、寝ることすらままならない。

そして、手足が不自由となるばかりでなく、顔面や手足にひどい変形を生じさせ、指は全て無くなり…

最後は、顔は鼻も穴が二つ残すだけ…。そしてついには失明し、患者を絶望に追いやる。

発病する前の、自分を思い出し、どうして自分がこんな目に遭わなければならないのだと、思っただろう。

悔しさ、無念、憤り、絶望…

彼らの生活を想像すると、僕は言葉を失った。

それでも、閉ざされた療養所での生活をなんとか、少しでも快適にしようという、趣味や娯楽といった活動を見れば、重苦しい気分も少しだけ和らいだ気がした。

資料館では、ハンセン病に関するさまざまな歴史を見ることができたが、ひとつ重要なメッセージが欠けてるように思えた。

それは、1996年に廃止するまで、どうして国が差別し続けてきたのか?という問題についてだ。

事実を淡々と挙げていくことも大事だが、資料館を見学して、「国は大きな誤りを犯した」と感じることができるだろうか? そして、それは、そのまま、国民の問題であると理解することができるだろうか?

けっして、ハンセン病の問題は終わってないのだ。

資料館を出て、すぐ右手に、小径が森の中へと続いていた。

森を抜けると、 パッと空が開けた。

ここが多磨全生園だった

園内を歩いたり、帰りの電車の中で、そしていま、いろんなことを考えた。

いま何気なく送っている自分の生活。

問題はありながらも、なんとか回っている政治や平和な社会。そこに身を置かせてもらっていること…。日々仕事で報酬をいただけていること…。大病に悩まされずに過ごせていること…。

これらはみんな僕の努力というよりも、たまたま偶然、自分が居合わせただけに過ぎないんだ…と、あらためて痛感させられた。

いろいろ不平や不満をこぼしてしまうけど、今日見てきた歴史を考えると、あまりにもちっぽけすぎる。

今日の午後は、場所によっては、“ゲリラ豪雨”に見舞われたようだった。傘を持ってこなかったので、不安だったが、幸いなことにほとんど雨に当たることはなかった。

それだけのことだけど、今日は、とてつもなく大きな幸せに感じられたような気がした。

Posted by ろん