3858 思惑は思わくであって思惑ではない
昨日、誤っていると断言してしまった、“おもわく(思惑)”。
思惑は、“おもわく”だとばかり思っていたが、実は、“しわく”とも読めるという意見が出てきて、にわかに不安になった。
まさか…と思いながら、ATOKで、「しわく」と入力すると…
思惑
「あ…」
ちゃんと変換するではないか…。
もしかして間違ってたか?
あらためて辞典で調べてみることにした。
し‐わく【思惑】
仏語。修道で断ち切られる貪(とん)・瞋(しん)・痴・慢などの煩悩(ぼんのう)。修惑(しゅわく)。
おもわ‐く〔おもは‐〕【思わく/思惑】
1.《2が原義。「惑」は当て字》
1 あらかじめ考えていた事柄。考え。意図。また、見込み。
2 自分のしたことに対する他人の反応、評価。評判。
3 相場の変動を予想すること。また、その予想によって売買すること。
4 人に思いをかけること。恋心。
5 思いをかけた人。恋人。情人。
2.《動詞「おもう」のク語法》
1 思うこと。
2 (副詞的に用いて)思うことには。思うには。
そもそも、“しわく”という言葉と、“おもわく”という言葉は別のようだ。
そして、“しわく”は、漢字で書くと“思惑”のようだが、“おもわく”は、正しくは“思わく”であり、“惑”の文字は当て字という。
つまり、思惑(おもわく)は、思わくと書くのが正しく、仏教用語としての思惑(しわく)とは異なるのだ。
一般的には、思惑は仏教用語として使われることはまずなく、“思わく”を意図して使われているのだから、思わくは、“おもわく”と読むのが正しいということになるだろう。
ちょっと不安になったが、認識は間違ってなくてホッとした。