3754 取り放題の流儀
先日、スーパーで、天津甘栗が“袋詰め取り放題”で売られていた。
おなじみの袋に入れられるだけ入れて、いくら…というものだ。
で、いつも、気になるのは、袋詰めの限界とはどの程度を指すのだろうか?ということだった。
今回は、あらかじめ栗の入った袋が置かれていたことに気が付いた。
ただ、特に、何か注意書きのような記載があるわけではなかったし、入っていた栗の量が、袋よりもかなり少なめだったので、これは、サンプルとして置かれているわけではなさそうだ。
となると、ちょっと悩む。
袋の口が「閉じられる程度」…となると、内容量は極めて少なくなり、取り放題のメリットがなくなってしまう。
袋の口から「はみ出る程度」…となると、袋に詰まっていない…わけで、ちょっと心苦しい。
取り放題の流儀とは、それに挑戦?する人の取り放題に対する価値観そのものということになる。
ちょっと悩んだ結果、僕は、はみ出る程度として、取り放題のメリットを最大限享受する選択をして、美味しく栗をいただいたという、なんてことない話。