3701 インターナショナルアーケードとその前後を歩く(後編)
昼間に歩いた、インターナショナルアーケードとその前後の通路を、今度は夜、逆に歩いてみた。
夜なのでよけい薄暗い感じかとおもいきや、むしろ周囲が暗いための、相対的に明るい歩道になっていた。
そのせいか、この道を通勤路として有楽町方面に歩く人の姿を多く見かけた。
ただ、なんとなく薄気味悪い感じは否めない。
ちなみに、写真ではあまり人が写ってないのは、人通りを避けて写真を撮ってるため。
シャッターが降りて、もともとどんな店があったのかはわからないが、頭上に古い看板が残っているところがあり、かつてはそれなりに賑わっていたことがわかる。
ところどころで、2階へ上がる階段もあるが、1階以上に店がなく廊下?通路?は、静まり返っていた。
しかし、営業中の店には、お客さんはちゃんと入っているようで、出入りするお客さんの姿もよく見掛けたし、中からは賑やかな声も聞こえてきた。
インターナショナルアーケードに入ってみる。
産経興業・・・産経新聞の関連会社かな?と思いつつ、2階に通じる階段を上がってみた。
なんだ?この扉は・・・?
まるで”小人の国”にでも迷い込んだかのような、極小の扉があった。
高さは1m程度だろうか。
高架橋の下に無理やり2階建てにしたせいか、相当強引な作りになっている。
倉庫程度に使われているのかとおもいきや・・・中からテレビの音が聞こえてきた。人がいるのだ。
妙に怖くなって、この場を立ち去った。
さてインターナショナルアーケードの店舗部分に入ってみると、こちらもシャッターの下りた店ばかりだったが、開いていたお店を、ちょっと覗いてみた。
すると、店員さんに「どうぞ中を見ていってください」と招かれ入ってみると、なんだか想像もしなかった、おしゃれなアパレルショップだった。
話を聞けば4年ほど前から、ここでお店を開いているという。
インターナショナルアーケードのディープさとは唯一一線を画している感じだった。
ふたたび、有楽町方面に歩いていく。
眩しいくらいの飲み屋の明かりを通り抜けると、事務所の入口のような扉があった。
開けて会社名を見てみると、先ほどの、産経興業と並んで「マザー牧場」の名前が・・・
産経新聞とマザー牧場とはなにか関係があるのか調べてみたら、”大有り”だったことにビックリ。
そのままWikipediaからの引用となるが・・・
日本電波塔(東京タワーの運営会社)のほか、産業経済新聞社、ラジオ大阪(以上フジサンケイグループ)、関西テレビ放送の創業者で、参議院議員の前田久吉が1962年に開設。
「マザー」の由来としては生家が貧しい農家であった前田の母親が「家に牛が一頭でもいたら暮らしはずっと楽なのに」と口癖のように言っていたのが心に残り、母にささげる牧場という事で名づけられた。
東京タワー建設候補地の一つとして前田が事前に取得していたものの、東京都港区の現在地に決定したため観光施設に転用された。
街歩きでは、こうした発見ができて楽しい。
有楽町の駅前付近までやってきた。
居酒屋というのか酒場というのか、魚や肉の焼いた煙が、高架下に充満し向こうが霞んでいた。
外国人の姿もあった。
お酒に縁のない僕にとっては、まず来ないような場所だったが、なかなか歩き甲斐のあるところだった。
すぐ目の前には、毎年恒例のイルミネーションが輝き、今まで歩いてきたところとのギャップに、東京の奥深さというか面白みを感じた。