3675 事故を当事者として考える
まず記事を書くにあたり、昨日発生した笹子トンネルのトンネル崩落事故で、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
笹子トンネルの事故は、本当にビックリした。
原因の詳細については、今後調査が進められることになると思うが、現時点では、トンネル設備の管理に問題があったということになりそうだ。
点検が、「目視だけ」という、どう考えても不十分な点検では、この事故は必然だったといわれても致し方あるまい。
日本の土木技術は、世界最高水準ともいわれ、実際にレベルの高いことは、間違いないと思うが、それを“維持し続けること”については、どうなのか?ちょっと疑問に思ってしまう。
例えば、昨年の震災による原発事故、そして今回の事故のように、そうした巨大な構造物を、安全に維持し続けていくということが、作るときに比べると、はるかに軽んじられている気がしてしまう。
たしかに作るときと比べたら、見た目の変化もないから華はないし、ちゃんと動いて当たり前、事故がなくて当然という世界だ。
でも、こういうことも含めて、初めて、世界最高水準となるはず。
そういう意識が、トップから末端の現場まで、意思や技術が伝わっているかどうか?
…と言いつつ、こういうことは、決して他人事だと思ってはいけないと思う。
ふと、もし、自分が事故の当事者だったら?と考えてみる。
被害者ではなく、逆の立場…つまり現場を管理する担当者だったとしたら?
“点検は目視だけで完了”は、ちょっとおかしいんじゃないか?と、素人でもわかりそうなものが、30年以上も続けられてきた。
担当者であれば、こんな点検は「おかしい」と、気付かないはずがない。
でも…
「これまで事故が起きなかったし、起きたとしても、大きな被害はないはず。それに、誰かが気付くだろうし、対策を考えるだろう。」
そんな考えを持ったのではないか?
もし、自分が当事者だったら、対策を会社や上司に訴えるだろうか? なんとかしようと行動しただろうか?
とかく、被害者という立場で考えてしまいがちだが、状況によっては逆の立場になることもありうるはず。
自分だったらどうするだろう?と、考えてみることは、とても大事ではないかと思った。