高熱隧道 (新潮文庫)/吉村 昭
この夏、立山黒部アルペンルートの旅行したのをきっかけに、黒部ダム建設資材を運搬する大町トンネル(関電トンネル)建設の苦労を描いた小説「黒部の太陽」を読み、さらに映画も見た。
そのなかで、戦前にもトンネル建設で大変な犠牲者を出した工事が行われ、それを描いた小説があるのを知り、トンネルを見学できるチャンスにあわせて、本書を読んでみた。
黒部川上流の黒部峡谷は、ダムに適した地域で、欅平に発電所を、その上流の仙人谷にダムを建設することとなり、1936年夏に着工する。
しかし、我が国で最も深いV字峡谷となっている黒部川では、先日見てきたばかりの水平歩道を通って、上流に資材を運搬するだけでも、転落死する事故が多発する。
本格的な資材運搬ルート、ダムから発電所までの水路トンネルを建設する苦闘を描いたのがこの話だ。
温泉地帯を貫いているトンネルの岩盤の温度は上がりに上がって、ついには160度を超えてしまう。
40度までしか認められていないダイナマイトは、いつ自然発火してもおかしくなく、実際に自然発火事故で、何人もの犠牲者を出してしまう。
天井からしたたり落ちる水滴に触れただけで、火傷してしまうほどの劣悪な環境は、わずか20分で交代しても、卒倒する者多数。
また、真冬でも工事が続行できるよう宿舎を建てるものの、爆発的な威力を持つ泡雪崩(ほうなだれ)で、宿舎が建物ごとまるごと600mも吹き飛ばされ、山に叩きつけられる事故が発生し80人以上が死亡。
寝ても覚めても、死の恐怖に直面しつつ、トンネルを掘り続けるさまは、どう見ても狂ってるとしかいいようがない。
仕事を指示する側も、現場でトンネルを掘る側も。
そうさせた原因は、やはり戦争だった。
戦争は、人を狂わせる。
明らかにおかしいことでも、それを正当化させてしまうのだ。
最終的に、300人以上もの人命と引き替えに、仙人谷ダムと黒部川第三発電所が完成する。
読んでいて最も印象的だったのは、ダイナマイトが自然発火し、現場に居合わせた人夫が木っ端みじんになってしまう事故になった場面。
工事事務所所長が、不安におののく他の人夫を前にして、人夫の遺体をひとり率先して集めて縫い合わせるのだ。
それに対して、「よくそういう勇気がありますね?」と尋ねられると、所長は「人夫っていうやつは…」といって口をつぐむ。
そして彼の部下に言う。「お前にはわかるだろう。そろそろお前にもおれのしていることの意味がわかり始めているはずだ」と。
それを聞いた部下は、それはもしかして人夫を動かすための“演技”なのではないか?と考える。
結局、所長は最後まで答えを言わないが、おそらくそうだろう。
「こういうことが起きるのは、特別な時代だけだ」…とは思いたいが、極限状態に置かれた人間だったら、だれでもこのようになってしまうのではないか?といった怖さみたいなものを感じた。