ダンゴムシに心はあるのか/森山 徹
ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)
森山 徹
PHP研究所
このタイトルを見ると、どんな人でもちょっとは気になるだろう。
そもそも、心って何だろうか?
まず前提として、人間には「心がある」というのは共通する意見だろう。(心がなさそうな人もいるけど)
では、犬は? 猫は? うちのハムスターは?
おそらくあるような気がする。
じゃあ、ダンゴムシは?
“心がある”と言うためには、きちんとした定義がどうしても必要になる。
著者は、心とは「行動する観察対象における、隠れた活動部位」と定義した。
心があるからこそ、なんらかの行動が抑制されているのだ…という仮説に基づく。
たとえば、何か別の行動をしつつ、それと同時に“背中がかゆい”と思うことがある。
だからといって無条件に背中を掻くわけでなく、その行動を継続していることがある。
“背中がかゆい”と思っていることが隠れた活動部位=すなわち“心”ということになるというのだ。
そして、こうした“隠れた活動部位”を証明することが、心があることを証明することになるという。
著者は、ダンゴムシの飼育を通じて、ダンゴムシから、これまでの常識では考えられない行動を引き出し、著者の“定義する心”が、ダンゴムシにもあるということがわかってくる。
身近なのにほとんど知られていないダンゴムシの生態を知ることができておもしろかった。
幼いころから“心”というものに、興味を持っていた著者は、ダンゴムシというパートナー(研究対象)を得たわけだが、心を見つける、心に触れるためには、先述した心の定義と、どれだけ研究対象に向き合うか?という2つが大事なのかもしれない。
たとえ、それがダンゴムシであろうと、心があるはずの人間であろうと。
ただ、その肝心の心の定義には、ほんのちょっと違和感を覚えてしまった。
というのも、本書でも取り上げているが、この定義だと、ダンゴムシどころか、無生物である“石”ですら、心を持っているということになってしまうし、“隠れた活動部位”だけが心ではないと思えるからだ。
定義をしなければ研究はできないわけで、ある程度は致し方ないとは思う。でも、この定義によって、あらためて“心とはなにか?”と考えさせられてしまった。