3534 結局は、人
結局、消費増税関連法案が衆議院で可決した。
先日も書いたし、同様の意見も記事で見掛けたが、歳出削減だけでは限界はあって、僕は増税はやむを得ないとは思う。
しかし、当然ながら、歳出削減が不十分だとか、そもそも増税反対など、さまざまな意見がある。
なかでも、「重要な判断は、国民に信を問うべき」という意見は、一見、的を得ている気がするけど、ちょっと違う気がする。
立法府たる国会が決める法律は、どれも重要な問題のはずだ。
“重要だから法律を決める”と言い換えてもいい。
影響の大きさも含め、「重要な問題だから」といって、いちいち解散して信を問うていたら、それこそ選挙ばかりになるだろうし、それだったら、国会議員なんていらないじゃないか?って思う。
つまり、政策の一つ一つを、単純に多数決で決めているだけになってしまうに等しいからだ。
争点が1つだったらまだいい。
ふつう選挙するときは、さまざまな争点があるわけで、立候補者を選ぶとき、自分の期待する政策が、一言一句完全に一致する、選挙公約やマニフェストなんてあるわけがない。
「この公約はいいけど、あの公約は違う」なんて言っていたら、それこそ誰も選べなくなってしまう。
となると、以前も書いたかもしれないけど、実は、結局は、「人で選ぶ」 しかないのかもしれないと思うのだ。
政治家に期待する仕事は、対立する意見があっても、その落としどころを見つけることだと思う。
理想なのは、多少の意見の相違があっても、「この人になら任せられる」という人に投票するということだ。
で、現実問題として…いないんだよなぁ…こういう人が。