3522 AKB48“総選挙”に思う
先日、AKB48の“総選挙”が行われ、さまざまなメディアでその詳細が伝えられた。
この “総選挙” は、新曲を歌うメンバーを選ぶ人気投票だ。
投票権はCD1枚に1票。一個人が1票である一般的な選挙と異なり、一個人が、複数枚買えば複数票が投じることができる。
つまり、この選挙は、CDを買うことが票になるわけだから、金がすべてであることを否定していない。むしろ推奨されている感すらする。
この“総選挙”の第1回は、たしか、国会の衆議院が解散して総選挙するとかしないとか揉めていたころ、ある種のパロディのように、実施されたように記憶している。
当時は、新曲を盛り上げるためのお祭りであり、ある種のお遊びであったように思う。
しかし、それが、だんだんと規模が大きくなっていき、テレビで生中継され、一般の新聞や新聞社のサイトでも、本当の選挙のような扱い(キャッシュ)で取り上げられるようになってくると、どうしても異常な感じがしてならない。
視聴率が取れて、NHKでも速報レベルで結果が伝えられ、IT業界の一部で流行っている“ビッグデータ”に絡めたニュース(キャッシュ)が伝えられる…なんていう状況だとはいえ、はたして、これを“国民的”呼んでいいものなのだろうか?
どう考えても、彼女たちの人気はごく一部のはずで、一般的なイメージの“国民的”とは、ほど遠いと思う。
もう一度言うが、この“総選挙”CDを複数枚買えば複数票が投じることができる人気投票にすぎない。
このニュースを嬉々として伝えるマスコミに、どうしても違和感を覚えずにはいられない。
ちなみに、AKB48の第1回総選挙と同じ年に行われた、本当の衆議院の総選挙は、それ以降、一度も行われていない。