3336 ドラマ「砂の器」を視聴して

文学・評論

ちょっと前のことだが、7年前に連続ドラマで見た「砂の器」が、ふたたび2夜連続で放送されたので、録画したものを視聴した。

そもそも、犯人が誰であるか知ってる状態で、大まかなストーリーも知ってる状態だと、どうしても気になってくるのは、筋書きそのものよりも、俳優陣の演技であったり、登場するロケ地であったり、オリジナルに描かれている部分になる。

今回のドラマは、視点を犯人を追い詰めていくのが、若手の刑事としたところが、目新しかった。

でも、やはり一番気になったのは、この物語の根幹となる部分だ。

親子がふるさとを追われ、放浪の旅に出るきっかけとなった、ハンセン病をどのように取り扱うのか?という点だ。

前回見たドラマでは、まったく違った理由にされていた。

同様に気になっていたのは、僕ばかりではない

そして…今回。

またもや、ハンセン病なんてなかったことにされていた。

ちょっと調べてみると、Wikipediaによれば、前回のドラマについて、以下のようなことが書かれていた。

「ハンセン氏病を他のエピソードに変えること」が原作権を持つ松本家からの原作使用の条件であったことから

これは、前回のドラマに関する記述だが、今回も同じだろう。

原作権の所有者からの指示であれば仕方がないとは思う。

でも…

父親がハンセン病を患ったことで、地域からはもちろん国からも徹底的に差別され、その結果、否応なく放浪することになり、ついには唯一の肉親であったその父親と引き離されてしまった。その経験が、何十年ぶりに再会した恩人を殺してしまう遠因になっているはず。

しかし、その根幹部分を変えられてしまっては、そもそもの殺人を犯した動機がかなり弱くなってしまう。

「なにも殺すこともないんじゃないか?」と思えてしまうのだ。

ここからは勝手な想像。

「根幹部分を変えてくれ」という要望というのは、原作権の所有者は、もしかして、そもそもドラマ化には反対だったのではないだろうか?

つまり、根幹部分を変えるということになれば、ドラマ化自体を諦めてくれるのではないかと期待した…。

…なんてのは、考え過ぎだろうな。

Posted by ろん