3212 ただ本川越駅から実家まで歩く

街歩き

久しぶりに降り立った本川越駅から、ぶらぶらと歩く。

川越でもっとも賑やかな通りのひとつ、新富町商店街に差し掛かる。

川越駅側のサンロード商店街と合わせて、いまは「クレアモール」という名前で呼ばれているようだ。ここは川越というよりも、以前から埼玉県でもっとも人通りの多い商店街だったが、去年の調査でも、サンロード商店街、新富町が1、2位独占したと、Wikipediaの引用にはあった。

ただ、この商店街に限ったことではないが、いつの間にやら、やたらとマンションが建ち並んでいたのが、気になった。

人口が増えることは、街の活力になるということに間違いないのだけれど、商店街の賑わいに、巨大なマンションという組み合わせには、どうしても違和感を覚えてしまう。

丸広百貨店の裏手に出る。

川越で一番の百貨店。埼玉県民じゃなければ、ほとんど知られてないのかもしれないが、川越市民にとっては、けっこう大事な存在。

給料日後やボーナス後の週末には、渋滞ができるほどの混雑を見せる。裏の駐車場が以前より拡張されたり、立体式駐車場が増設されているところを見ると、いまでも変わってないのかもしれない。

かつて、広いと思っていた駐車場が、こぢんまりして見えるのは、年齢を重ねた結果かな?

この駐車場から見える、看板が昔から気になっていた。カトウではなく、カトゥ。

さらにぶらぶら歩いていく。

!?

不思議な形に剪定された木が…

この、“でっぱり”はいったい…

何かの形を表しているのか?と思ったのだけれど、いま何なのかよくわからない。

モアイ?

川越市民なら誰でも知ってる?喜多院のどろぼうばしへ。

ここ喜多院と東照宮が江戸幕府の御朱印地であったため、川越藩の町奉行が追ってこないことを知っていたひとりの盗賊が、町奉行に追われこの橋から喜多院の境内に逃げ込んだという。

寺僧に諭され、厄除元三大師に罪を許してもらうよう祈り、改心した盗賊は、その後、無罪放免となった…めでたしめでたし…というお話。

喜多院といえば、地元の小学生にとっては、写生会の絶好のスポットである。かつて僕が描いた同じ位置に立って、建物を見てみる。

ディティールに拘りすぎ、半ベソかきながら描いていたのを思い出した。

お正月は、ものすごい人出だが、それ以外の日は、いたって静かな境内。

五百羅漢は柵越しに見られる。

お祭りでもないのに、屋台がいくつも出ていた。

太麺やきそば…川越名物だったっけ?

これに限らず、B級グルメという文字をよく見掛けるようになったが、こういうのは、自ら名乗ってはいけないと思うなぁ…。

喜多院のすぐ脇にある日枝神社は、赤坂にある日枝神社の本社にあたる由緒ある神社。

小学校に通っていたころの通学路に出たので、かつて6年間歩いたのとまったく同じルートを歩いてみることにした。

ふだん記憶力が全然ない僕だけど、さすがに6年間も歩いていた道だけあっていたるところに、懐かしい風景を見つけることができた。

でもよくよく見れば、わずかな違いはあった。

屋根の上のアンテナが、アナログではなく地デジ対応のUHFアンテナだけになって…

もちろん、多くの風景はだいぶ変わってしまった。

小さな工場があったはずのところは、分譲地として更地になっていた。

知っている景色が消え去ってしまうという事実に、少し物悲しい気分になった。

Posted by ろん