3171 入試ネット投稿事件で感じたこと…の続き
昨日の件の続き。
入試で合格する能力よりも、インターネットで検索できる能力があればよいというわけでは、決してない。
インターネットで検索ができたとしても、それをどう生かせるのか?…が本当に大事なことだと思う。
最悪なのは、検索結果をそのまま鵜呑みにしたり、そのまま利用してしまう…ということだ。
インターネットに限らないが、盗作や盗用の事件はあとを絶たない。インターネットがあれば、それがより容易になってしまう上に、あまりに手軽に情報が手に入るモノだから、罪悪感も少ないのだろう。
今回の入試のネット投稿事件も同じ。入試制度の問題とあわせて、インターネットの負の部分も、強調されたと言っていいのかも。
いま日本では、携帯電話を含めれば老若男女問わず、誰もがインターネットが使える環境にある。
つまり、情報を探し出すという能力さえあれば、小学生からお年寄りまで、あらゆる階層の人たちが、同じ情報にたどり着ける。これはすごい世界だ。
そもそも、大学入試という記憶力(それを多少応用した知識)を問う場面で、インターネットを使うのは誤っている。
ただ、記憶力があるかどうかで、人生が決まってしまうような大学入試ってどうなんだろう?という気はする。
ちょっと前くらいには、“一芸入試”というのも流行ったが、結局こういった取り組みはどうだったんだろう?