3170 入試ネット投稿事件で感じたこと
入試問題をYahoo!知恵袋に投稿したという事件。偽計業務妨害容疑で予備校生が今日逮捕された。
こんなに大量に、しかも正確に、入試問題を携帯電話を使って投稿できるものなのか? なんらかの不正によって入手された携帯電話でない限り、必ず“足がつく”はずなのに、こんな安易な方法で、質問をするだろうか?
…と、僕はいわゆる“愉快犯”であり、“自己顕示”のための犯行ではないか?…と考えていたのだが、逮捕された予備校生の供述によると、どうやら本気で合格も考えていたようだ。
今回の事件で気になったことが2つある。
ひとつは、報道が過熱しすぎているのではないか?ということだった。
それに対して、心当たりがあった。
学歴というものは、ある程度“ブランド”として、まだ幅を利かせている気はするが、以前に比べれば、崩壊しつつあると思う。、
しかし、マスコミ業界では、一般の会社以上に学歴がモノをいうと聞く。
そう考えると、この過剰なまでの報道は、もしかすると、マスコミの焦りなのでは?と感じた。
学歴によって裏打ちされているマスコミ業界において、学歴階級社会が脅かされることに、マスコミ自身脅威を感じているのかもしれない。だから、過剰とも思える報道をして、二度とこういったことが起きないよう、煽っているのではないか?…と。
もちろん、穿った見方だと思いたいけど。
そして、気になるもう一つのこと。
入試という考え方そのもののことだ。
インターネットの世界においては、知っているかどうか、あまり大事ではなく、いかに検索できるかどうか?が問題となる。
つまり知らなくてもいい。調べればわかることだ。今回のように、わからないことがあれば詳しい人に聞けばいい。
一方、入試は、その一個人が知識を持っているかということだけの勝負であり、知らなければそれでおしまいだ。
もちろん、“一発勝負”が当たり前なのが大学入試である…ということは重々承知している。そして、不正は決して良くないことも、重々承知している。
しかし、社会に出たときの能力として求められるのは、いったいどちらだろう?…とも思った。
問題に直面したとき、一個人で解決できる知識量は限られている。しかし、インターネットを使えば、はるかに広く多くの知識を集めることができるかもしれない。
人生の進路を大きく決めてしまう入試というものが、実際に社会で求められる能力とかけ離れているというこということにあらためて気がつかされたのが、今回の事件だったということだ。