3127 忘年会って…?

歴史・地理

今年は、なぜか忘年会がほとんどない。

景気の問題…というわけではなく、おそらくは、たまたま…だろう。

それにしても、そもそも「忘年会」っていうのは、考えてみれるととても不思議な言葉だ。

なぜ年を忘れなければならないのだろうか?

「年忘れ」…なんて言葉もあるくらいだから、日本ではごく普通の考え方ともいえる。

忘年会を、英語に翻訳させてみると、Year-end parties となってしまった。

たしかに、決して間違いではないが、ニュアンスは違うと思う。この言葉だと、感覚的には、忘年会より、納会の方が近そうだ。

で、実際に忘年会由来を調べてみる(Wikipediaキリンビール)と諸説あるようだが、そもそも、なぜ年末に、その1年を忘れる…という発想なのかは、よくわからない。

さらに調べてみたら、なぜか国立国会図書館のサイトWeb魚拓によるキャッシュにその記載があった。

「中国では、「忘年」を本来、年の老いたことを忘れる意として「忘年忘義、振於無意」(『荘子』斉物論)のように用い、上下の年齢を問題にしない意にも用いている。これを一年間の苦労を忘れる意に解釈し直したのが、日本人の工夫らしい。
室町時代に「深更に及びて百韻了りぬ、年忘れと謂うべきか」(『看聞御記』)のように「年忘れ」が現れ(略)。」

なるほど、忘れるのはその1年ではなく、自身が年老いたことを忘れる…という意味なのだ。年齢を気にしないという意味と考えるというのも、しっくりくる。

そして日本人は、1年の“苦労”を忘れる…と解釈したというのも悪くない。

由来を知るって、楽しい。

Posted by ろん