3126 パニックと羨み

物思いに耽る(雑感)

パニックというのは、人が極度の恐怖やストレスを感じることで、混乱してした言動のことをいう。そしてねたいていの場合、パニックはあまりいい結果をもたらすことはないし、特に集団によるパニックは、事態をさらに悪化させることは少なくない。

以前、何かで聞いたことがあるのだが、パニックは、自分自身がその恐怖から逃れる…つまり、助かる見込みがあるという条件下で起きるものであって、絶対に助からないとか、自分ではどうしようもない場合には、起きないのだそうだ。

例として適切かどうかはわからないが、墜落する飛行機の中では、パニックは起きないという。

なぜ、こんなことを思いだしたかというと、「羨む」ということが、パニックに似てると思ったからだ。

人やその環境を羨ましがるというのはよくあることだが、どういった条件のときに、羨ましがるかを考えてみた。

例えば…

どこか海外の大富豪…たしかに羨ましいが、自分とはあまりに別世界に生きる人たちだから、正直あまり気にならない。

宝くじに当たった人…交通事故に遭うよりも確率が低く、自分には起きないだろうと思うから、やはり気にならない。

一方、羨ましいと思うことは…詳細に書くと、日常生活に差し障るので割愛するが…、いずれも、自分の身近で想像がつきやすいことが多い気がする。

ただ、よく考えてみると、それは「自分にもできる」とか、「自分にも起きうる」という仮説が前提となっている。

本当に自分でも実現可能なことばかりなのだろうか? けっこう驕った考え方ではないだろうか?

羨む前に、まずその羨んでいることが、そもそも自分にも起きうることなのかどうか? 前提条件が誤っていないか?…を考えてみる必要があると思う。

パニックと似てると思ったのはこのあたりだ。助からないと思えばパニックが起きないのと同様、自分に起きえないと思えば羨むことはないのだ。

気持ちを論理的に整理することで、人を羨む気持ちが、少しずつ落ち着いてくるような気がする。

Posted by ろん