3043 “爆音”と“自己表現”と“生物としての多様性”

物思いに耽る(雑感)

人は誰もが、自分を自分として認識するための、自己表現の方法を持っていると思う。

“自分が自分らしくあるための行為”と言い換えてもいい。自分らしくあるいうとちょっと難しいかもしれないけど、多くの場合、自分の好きなことをしている瞬間が、自分が生き生きとしている姿なのではないかと思うがどうだろう?

ときどき爆音を立てて通り過ぎるバイクを見かける。

ただ、人の気配が全くない山奥で決爆音を立てる行為をすることはないだろうし、もし、その爆音自体を楽しみたいだけであれば、爆音を自宅のステレオとか携帯音楽プレーヤーで聴けばいいのだろうが、そういう人がいるとも思えない。

やはり、つまり音を立てることが目的ではなく、注目をされることが目的だろうから、結局、人家の多く集まるところや、深夜寝静まった市街地で爆音を立てるのだ。

なぜ、このようなことをするのか、一般人には理解できないが、何とか理解しようとするならば、それは“自己表現”の一種なのではないかと考えた。

こうした迷惑な自己表現は、誰もが行うわけではなく、ごくごく一部の人たちだけが行っている。

そして、ある一定の数の人間がいれば、ある一定以上の数は必ずいると思われる。

たくさんの人たちに迷惑を掛けるこのような人たちがいることについては、誰もが苦々しく思っているだろうが、人間という“生物の多様性”という観点で考えると、これは致し方ないのだろうか?

Posted by ろん