2966 鳩山首相辞任

社会・政治・事件

鳩山首相辞任。

ある程度、想像はできていたが、いざ現実になってみると、あっけなかった。

かつて、政治というものは「○○先生に全部お任せしています」といった感じで、地元の代議士にすべてを託していたように思う。 悪く言えば、政治の“丸投げ”だった。地域代表として“全権委任”されていたのが、かつての政治家だった。

だから国民は、あまり細かな政策などは気にしていなかったように思う。

そして、国民の誰もが貧しかった時代が過ぎ、一億総中流と呼ばれた時代が過ぎ、職業間世代間の格差が広がってくると、自ずと政治に対する関心も高まってくるようになってきたのではないか。

各自の意見がはっきりしてくると、当然ながら意見は分かれてくるわけで、かつてのような政治手法は通用しなくなってくる。

民意が発散し、収拾がつかなくなって来つつあった政治の世界において、独特のテクニックによって民意を巧みに集約したのが、小泉元首相だった。争点を郵政民営化というキーワードに絞る作戦だった。

その後、2009年。政権交代してほしいという民意を受けて、民主党が政権を取った。しかしその民意は、単に発散した意見の集まりに過ぎなかったことに気付くことになる。発散した意見をとりまとめるのに“活躍”したのがマニフェストだった。このマニフェストに民主党政権は振り回されていく。

そもそも“これは賛成でもこの部分は反対”といった意見のひとつひとつを、マニフェストが救うことは不可能に思える。

マニフェストに問題があるのだったら「国民に信を問うべきだ」といえば、たしかに聞こえはいい。でも、重要な法案が審議されるたびに国会が混乱し、挙げ句の果てには、いちいち「国民に問え」なんて言うんだったら、政治家なんて要らないではないか?

政治家は、国民のさまざまな意見を集約し、国のあるべき方向に導くというのが、その役目だろう。

鳩山首相は、根拠のないまま自分の崇高な理想を披露し、現実的ではない方向に意見を集約させてしまい、周囲を期待させるだけさせてしまった。結局、実行が伴わずその行き着いた先が今回の辞任だった。

マニフェストなんて、あまりに薄っぺらいものだということを痛感させられた国民が、どうやって政治に期待しろというのだろう?

鳩山首相は、政治というもののハードルをかなり上げてしまったのだ。次に誰が首相なるにしても、相当厳しい目にさらされることになるだろう。

そんなひどい状況でも、必ず誰か立候補して、首相になりたい人が出てくるのだから、怖い者知らずというか、すごいというか…

Posted by ろん