2937 日暮里、町屋、そして吉原

街歩き

久しぶりの駅からハイキング。

出発は日暮里駅。

しばらく、尾久橋通りを歩く。日暮里・舎人ライナーの高架も続く。尾久橋通りを跨ぐ、常磐線、常磐線と東北本線を結ぶ田端貨物線のガードをくぐる。

もともとあった高架橋の上を、日暮里・舎人ライナーが走っているので、かなりダイナミックというか、豪快というか…。

例によって、すぐに、駅からハイキングのルートから外れ、歩いたことのない道を歩く。

 

 

千歳?

千歳といえば、北海道千歳市。

なんで?と思ったら、同じ名前の会社がここにあるようで…。

商店街を抜けて、尾久八幡神社に到着。すぐ目の前を都電荒川線が走っている。停留所の“宮ノ前”は、この神社に由来するのだろう。

少し休憩して、ここから都電に乗ってしまう。もはや、駅からハイキングとは関係ない状況に。

都電荒川線は、短い路線ながら、車両や塗装の種類がいろいろあって、見ていて楽しい。車両側面のラッピング広告の車両も、それなりに多いのは、ちょっと残念。

町屋駅から、京成線に乗って、千住大橋駅まで。

石洞美術館を見学して、ふたたび千住大橋駅へ。

京成線には、かなり珍しい、行商専用車というのが走っている。おそらく、そう遠くない将来廃止されてしまうんだろうなぁ…。

 

さらにふたたび町屋駅に戻って、さらに一瞬だけ、駅からハイキングのルートに戻る。

町屋駅のすぐ近くに、泊船軒という、なんだか中華料理屋みたいなお寺がある。

ボランティアガイドの人がいたんだから、由来を聞いておけば良かった…といまさらちょっと後悔。本堂が公開されていて、天井の雲龍図も拝見することができた。

しばらく歩く。

一葉記念館を見学して、樋口一葉の「たけくらべ」の執筆に大きく影響したと言われる、旧吉原遊郭跡に行ってみることにした。記念館の前を歩くお兄さんたちが、やはり、“地元産業”に従事してる雰囲気を漂わせていた。

樋口一葉の自宅前の通りは、旧吉原遊郭に向かっていて、そこを通る人力車の往来で眠れなかったこともあるらしい。いまでも、道路の角度が明らかに違うことから、意識していれば、そこに旧吉原遊郭があったことが想像できる。

 

旧吉原遊郭にやってきた。

かつて、吉原をぐるりと、どぶか囲んでいて、遊女が逃げ出さないようにしていたという。どぶと言っても、数メートルの幅があったというが、いまではどうなっているのかと、見てみることにした。

下の写真、道路の左側が吉原、右側が一般の市街地。すぐにわかるが、吉原側が坂になっていて一段高くなっている。

すると、この道路自体が、おはぐろどぶの遺構そのものなのだろう。

知らなければ、全く気づかないが、歴史を知ると見えてくるものがある。

やたらと警察の車とか自転車に乗った警官を見かけた。

治安が悪いのかなぁ…なんて、勝手に思っていたら、どうやら事件があったらしい。現場らしき場所を通り抜ける際、“支払”の表示をしたままのタクシーが止まっていたところを見ると、どうやら客がタクシー代金を支払わず踏み倒した…みたい。

今日は、かなり盛りだくさんで、くたびれてしまった。

Posted by ろん