2896 “ご協力”

日常生活

交通安全運動の季節になると、また軽い憂鬱になる。

なぜなら、しつこいくらい、交通安全運動の“ご協力”を聞かされるからだ。

それは都営地下鉄三田線に乗ったときに起きる。以前から気に入らない自動放送に追加される形で、この“ご協力”は流れる。

「お客様にご案内いたします。ただいま交通安全運動を実施しております。線路への置き石、電車への投石など、列車妨害行為の防止に、ご協力ください。」

この自動放送をしている区間は、そもそも線路の基礎は、砕石ではなくコンクリートだし、全ての駅にホームドアが付いていて、線路に降りるのは至難の業だ。

つまり、そう簡単には置き石はできないし、投石するためにはわざわざ石を持ってこなければならない。それを防止するための“ご協力”のための放送は、果たして必要なんだろうか?

新交通ゆりかもめでも、やはり交通安全運動の期間中「交通ルールを守り、交通事故をなくしましょう」という自動放送が流れる。

この放送が何の意味があるのかということは、おそらくこの世で誰ひとり考えていない気がする。それは、放送することが目的だからだ。あくまで、誰かに対するアピール…でしかない。

その一方、こうした放送を「うるさい」とか「意味がない」と声高に言う人も、皆無に近い。なぜなら、誰もこの放送を聞いていないからだ。いや、正確に言えば“聞こえていない”のだ。

かくして、毎年春と秋の年2回、無駄な“ご協力”放送が響き渡る。

Posted by ろん