2769 修理に思う

日常生活

風邪から、少しずつ立ち直って、ようやく外を歩けるような状態になってきた。

もっとも熱はなく、喉の痛みだけではあったが、かなり用心して、昨日は一日中寝ていたことが功を奏したのかもしれない。

気になっていた自転車を修理。チェーンが外れて空回りしていたはずが、修理のため自転車をひっくり返して、ドンと地面に置いた衝撃のせいか、なぜかチェーンがきちんとはまっていた。

これはこれでありがたいのだけれど、そもそも外れた原因となった部分は直さねばならない。原因は、後輪の車軸が緩み、チェーンも一緒に緩んでしまったことで、チェーンが外れやすくなってしまったからだ。

なので、修理は車軸を元の位置に戻し、チェーンの緩みをなくす作業になる。図で言えば、矢印と反対の方向に引っ張ってあげるのだ。

写真だと、手前に車軸を引っ張って元の位置に戻し、チェーンの緩みをなくす

ようやく自転車が直り、おじゃこと池袋へ。

池袋のメトロポリタンプラザで、こんな掲示を見つける。

そこは特に傘屋というわけではないのだけれど、傘の修理に関するおことわりだった。低価格が進む一方で傘職人が減り、修理に時間がかかったり修理不能になってしまうことを了承してもらうというものだった。

かつて、モノが壊れたら、まず修理を考えるのが当然ではなかったか?

いつの間にか、修理よりも買う方が安いというのが当然…という世の中になってしまった。

もちろん、誰だってモノは安い方がいいと思う。けれど、いま使っているモノを捨ててまで、新しい商品を買わなければならない世の中になって欲しいと願っただろうか?

この現状は変えられないので、せめて、自転車や傘のような構造が比較的簡単なものであれば自分で直したいものだ。

僕は幸いなことに、父がそういった修理や工作が得意だったおかげで、抵抗なく取り組めるが、そうでない場合は、そもそも、修理という選択肢すら思いつかないのではないだろうか?

だから、小中学校くらいの早い段階から、身近なモノを直すという教育をしておく必要があると思うのだけれど、どうだろう?

Posted by ろん