壊れても仏像/飯泉 太子宗

■人文・教育・思想,龍的図書館

4560031991 壊れても仏像―文化財修復のはなし
白水社 2009-05

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この本は、仏像の修復という、ふだんの生活では、まず縁のない世界を、詳細に紹介してくれる。

仏像には、一木造りと寄木造りがあって、前者は平安時代までの作り方で、後者はそれ以降の作り方らしく、寄木造りの手法が広まることで、さまざまな仏像が作られるようになったようだ。

その寄木造りの仏像の作り方は、プロモデルと同じというたとえはわかりやすい。

ちなみにガンダムのような戦闘用ロボットは、仏像でいえば四天王や十二神将のような軍事系天部に相当するので…

といった表現はおもしろい。
正直言うと、あんまりガンダムのことは知らないが、著者は僕よりほんのちょっと若いが、ガンダム世代なので、例えやすかったのかもしれない。

気の遠くなるような時間の中で、仏像はそのときの状況に翻弄されてしまう。
たしえば、その寺の宗派が変わると、仏像も変わるため、本来新しい仏像を置くべきところを手の形を変えて、別の仏像にしてしまうこともあるそうだ。仏像によっては、手の形(印相)しか違いしかないくて、そこを作り替えられてしまうと、もともとどんな仏像であったかがわからなくなってしまうのだそうだ。だから、薬師如来が、釈迦如来や、阿弥陀如来に作り替えられたりすることがあるのだという。なんてアバウトなんだろうと思うが、おもしろい。

なかには手を抜いて作られた仏像などもあるようで、現代で言えば木工用ボンドだけで作られたような仏像は、数百年後にはバラバラになってしまい、著者を困らせることになる。

木で作られた仏像が数百年も、そのままの状態であることはまれで、多くの場合修理が施されている。
修理の際に、仏像の中から銘文が出てくることがあるそうだ。これは仏像を作った仏師の名前や、いつ作ったかの年号、像の来歴、修理について記述されていることもあるそうだ。修理をする者として、この銘文があるのとないのとでは修理の楽しさがぐっと変わってくるというのは、わかる気がする。

修理をした著者も、やはり銘文を残すとのこと。これをリレーのバトンのようなものと表現していたことが印象的だった。

ひとつ以前から気になっていたことが解消した。
信仰の対象である仏像が、たくさんの見物客に囲まれたり、修理とはいえ解体されたりして、罰が当たらないのか…と。
この本によれば、仏像は、仏の魂を仏像に入れてもらって初めて仏像になる。そうでないのは、仏像の姿をした彫刻品。博物館や美術館にあるのも同じなのだそうだ。なるほど、言われてみればそうだ。

写真やイラストも載っているが、贅沢を言わせてもらえば、もうちょっと写真が多くてもよかったかな…と思った。

中尊寺の弥勒菩薩半跏像は、日本でもっとも有名で人気のある仏像の一体だが…と書かれても、不勉強もあるけど、正直よくわからない。
インターネットで調べれば、あぁ…とわかるが、できれば、本を読む過程でそのまま知りたいと思った。

そんなわずかな不満をはあったものの、仏像修理に携わった方でしか、知り得ないような話はとても興味深く、知的好奇心は大いに満たされた。