2644 DNA鑑定

社会・政治・事件

いわゆる「足利事件」における、DNA鑑定で誤りがあったというニュース。

その後、技術が進歩して精度が高まったということは理解できる。

当時、1000人の1人程度のレベルだったものが、現在では、数十億分の一から数兆分の一というレベルになったということも分かる。

でも、もっとも怖いのは、当時、それだけ精度が低かった鑑定が、裁判で証拠として採用されたという事実だ。当時の裁判で、このレベルでも、証拠になってしまったことに、異論はなかったのだろうか?

血の付いている服とか凶器とか、文字通り目に見える証拠であれば、一般人から見ても判断はできる。わかりにくいとはいえ指紋程度ならば、まだ判断材料となりうる。

でも、DNA鑑定となってしまうと、一般人から見たら、専門家から示された鑑定結果を信じるしかないのに、それの精度が、実はたったの1000分の1程度だったということが、当時からちゃんと理解されていたのかどうか?

DNA鑑定という言葉だけで、もう間違う余地がないと信じ込んでなかったか?

“1人/1,000人”という確率を聞けば、ある程度の精度があるような気はしてくる。しかし、分母を増やすと、イメージは大きく変わってくる。

1人/1,000人

10人/10,000人

100人/100,000人

1,000人/1,000,000人

100万人いたら、その中に1,000人もの容疑者がいるということになってしまう。いま東京都の人口は、だいたい1,300万人だから、もし容疑者が東京都にいるとしたら、なんと、1万3000人もの誤差があることになってしまう。これを信用しろという方が無理がある。

将来、新たな鑑定方法も出てくるかもしれない。せめて、そのときには今回のような過ちを犯すことのないようにしてもらいたいし、一般人も裁判に参加する時代になるのだから、他人事とは思わずに、新しい鑑定方法にも、関心を持つ必要があると思う。

Posted by ろん