2581 軍艦島
廃墟ブームらしい。
僕もいつのまにやら、そうしたブームに便乗しているわけではないが、僕にとって、廃墟は大変興味深い対象であることは間違いない。
その中で、ここ最近、もっとも興味のある廃墟が、軍艦島(端島)だ。
長崎港から17.5km離れたところに、わずか0.06平方キロの小さな島がある。江戸時代、端島という名のその島で、良質な石炭が発見される。その後、明治時代になり、本格的に石炭を採掘するため、周囲を埋め立て、炭坑に必要な施設が作られた。そして、そこに従事する人々やその家族が住めるよう、独立したひとつの“街”として島が、徹底的に作り替えられてきた。
日本初の鉄筋コンクリート製の建物が、東京や大阪といった大都市ではなく、絶海の孤島に林立していたという事実に、徹底的に機能性を追求する姿勢が感じられた。1960年(昭和35年)には、人口5267人に達し、、当時の東京の実に9倍の人口密度もあったそうだ。
そんな島の姿が、まるで軍艦に見えることから“軍艦島”と形容されたという。
無性に詳しく知りたくなって、図書館からいくつかの本を取り寄せ、片っ端からひととおり読んでみた。「“時代”が島を創りだし、その後不要になり廃墟になった」ことがわかる。そういう意味では、この島は“時代”というものに振り回され、翻弄されたことになる。
人が住みやすいように徹底的に作り替えるというのは、軍艦島だけでなく、東京のような大都市にも通じるものがあるような気もした。“島”ではなく“街”を作り替えるという作業。人や物が膨大に集積する東京も、いずれ軍艦島のように顧みられなくなる日がくることがあるのだろうか?