暴走する「世間」―世間のオキテを解析する

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4862380794 暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)
佐藤 直樹

バジリコ 2008-01-19
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いま日本で起きているさまざまな問題の原因に「世間」の存在を挙げている。
世間とはいったい何か? その世間は、いまどうなっているのか? いじめ、うつ病、恋愛、宗教、ケータイ、風景、格差社会といった切り口で、世間というものを読み解いていく。

詳しくは割愛するが、十一、二世紀ごろ、ヨーロッパにもあった世間というものが、キリスト教の全面的な支配によって完全に否定され、都市化が加わり、新たな「社会」という人的関係が生み出され、個人が形成されたという。日本ではそうした「社会」とは異なる「世間」という人的支配が続く。

そういった切り口で、今の日本を見てみると合点がいく。そういう意味では、「世間が悪い」という考えも、あながち間違いではないという気もしてくる。…もちろん、それで問題が解決するとは思っていないけど。

西欧においては人間関係が合理的なのである程度予測可能だが、日本においては人間関係が合理的にできていないので、相手との関係がどうなるか予測不可能である。(p.253)

不安定だから安定しようと「世間」に場所を見いだし、ケータイが手放せなくなるという考え方は非常に興味深い。

だんだんと“世間”というものが見えにくくなっているという気がしていたので、読み進めていくうちに、いろいろ考えさせられた。

本題とはちょっと違うところだけれど…、恋愛の章で書かれていた筆者の考える“恋愛の定義”が興味深かったので引用する。

私は、恋愛とは「自分では絶対に制御できないような他者との出会いによって、ボロボロになることだ」と思っている。あるいは、「話せばわかる」とかいったような、一切の民主主義的な努力が報われない世界であることが、恋愛の経験であると思っている。(p.111)

すごくわかるような気がした。特に最後の一文が…