2537 クレーマー
先日、新聞の投書欄で「正当な苦情もクレーマーか」という見出しを見つけた。たしかに、ちょっとした苦情を言おうものなら、クレーマー呼ばわりされる傾向があるような気がしていたから、興味を持って読んでみた。苦情を申し立てたばかりだったので、なおさら興味深かった。
最近は正当な苦情でも理不尽な要求をするクレーマーとみなす風潮かある…と憂いている63歳の大学客員教授の投稿。なるほど、確かにその通りかもしれない。しかし続く文章で、同意は反感に似たものに変わった。以下はその続きの引用。
コンビニで先日、店員がレシートを渡さないため、私はあごをしゃくって促した。声に出して注意すると恫喝と受け取られかねないからだ。店員は経営者に「出さないと怒鳴られますよ」。耳打ちが聞こえた私は「要求するが悪いのか、よこさないのが悪いのか」と言ってしまった。
権利ばかりを主張しすぎてもいけないが、クレーマーと決めつけて口封じをするような社会になって欲しくないものだ。
この話のポイントは
- レシートを渡さない店員
- 声に出すと恫喝と受け取られかねると考えた客員教授
- あごをしゃくってレシートを要求する客員教授
- 客の前で耳打ちをする店員
- 結局恫喝してしまった客員教授
なんだか笑い話みたいな展開に見える。いや“笑う”というより“苦笑”に近い。
そもそも、レシートをそのまま渡すか、レシートが必要かどうかと聞けばよかったとは思うが、コンビニという店の性質上、レシートが必要な人が決して多くないという事情は理解できる。
そして、もっとも気になったのは、63歳にもなって自分の要求をきちんと伝えられないということだ。
苦情を言うことは決して悪いことではない。サービスを提供している側が気付かないことは多いはずで、それを客の立場から伝えることができれば、より一層の向上が望めるはずだからだ。もちろん正当な苦情もあるし、そうでないものはあると思う。
そして、もっと大事だと思うのは、サービスを提供する側とされる側双方で、お互いの立場や状況を理解し合うことだ。もし逆の立場だったらどう思うか?を考える。たったそれだけのことだ。苦情は正確に伝えられなければ意味がない。感情が先に立ってはねじ曲がって伝えられる恐れも出てくる。
そういった意味でも、この大学客員教授は失格であり、そもそも苦情を言う資格がないのだ。