2532 鼻づまり

物思いに耽る(雑感)

どうやら先日から風邪をひいたらしい。
はじめはのどが痛くなったが、その後は鼻が詰まり始めた。それだけでも、つらいものでかなり集中力を失わせる。

こんなとき、いつも不安になるのは、もし誘拐犯(じゃなくてもいいけど)に捕まって口を押さえられたら、窒息死してしまう可能性があるということだ。死んだ僕に対して犯人は「殺すつもりはなかった」と言うだろう。殺すつもりがなくたって死んでしまえば、殺人罪は適用されるだろうから、犯人はきっと不本意に違いない。…というより、そもそも誘拐するなよということだ。

そにしても、頻繁に罹る風邪や花粉症のような疾患ごときで、通常の呼吸ができなくなるのは、なぜなんだろう?

人間の進化の過程において「鼻に問題があったとしても口という代替手段があるから問題なし」とされたのだろうが、どうも解せない。

呼吸は、生きるためには絶対に不可欠なものだ。当然、呼吸は可能な限り無理なくできるようになっているべきだろう。鼻づまりになればやむを得ず、口で呼吸することになるが、もちろんメリットなどなく、呼吸は苦しくなり、のどを痛めることとなる。つまり、鼻づまりによって、より自分の身を危険にさらすような状態にしてしまうのだから、よくわからない。

ケガをしたとき、その患部が痛むのは、その部分をいたわることで、ケガの回復を助ける目的があるのだと思う。だから、痛みにも意味があるのだ。しかし鼻づまりは、患部をいたわろうにも、問題の箇所は鼻の奥であり、出てくるのは鼻水だ。これをどうしろっていうのだ?

いったい神様は、鼻づまりに何の意味を持たせようとしたのだろうか?

Posted by ろん