痴漢冤罪の恐怖/井上 薫

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4140882689 痴漢冤罪の恐怖―「疑わしきは有罪」なのか? (生活人新書 (268))
井上 薫

日本放送出版協会 2008-10
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以前、映画「それでもボクはやってない」を見て、痴漢事件に潜む冤罪の恐ろしさを知ったが、この本も、同様に痴漢の裁判における問題点を、かつて裁判官をしていた著者が、これまでの経験を交え、わかりやすくその問題をあきらかにしている。

すべては「この人、痴漢です」と名指しされたところから始まる。
そして「話は別のところで聞きますから…」と駅員に促されれば、ふつうは話を聞いてもらえるものだと思う。しかし実際には、そのまま警察引き渡され「話は署で聞こう」と警察に連れて行かれ、いつの間にやら“逮捕”されたことになってまう。著者は、その過程自体問題だと指摘する

104ページ以降のアドバイスは覚えておいて損はない。
身分を明らかにした上で、駅事務室や警察などに決してついて行かず、とにかく「その現場から離れることが大事という。起訴されたら99.9%が有罪になるという日本の司法制度では、痴漢という“軽い”犯罪だからこそ、容疑を掛けられた側の話は聞いてもらえないという。はじめから犯人と決めてかかっていて、話を聞いてもらえるという状況には絶対にならないと断言している。

途中まで読み進めていったところで、読みにくさを感じ始めた。この読みにくさ、以前も同じようなことを感じたのを思い出して調べてみたら、やはり、以前読んだあの本の著者と同じだった。

この人のクセなのかもしれないが、何度も同じ話が出てくるので、いいことを言っていても、「あれ、この話さっきも出てきた」とか、「同じ表現が繰り返し出てくるな」とか、くどさが気になってしまう。刑事訴訟法の基本がなってないというこというために、「刑事訴訟法のイロハ」という表現が使われているのだが、3ページのなかに3回も出てくる。気になってしまって、読み進めようという気が半減してしまう。

とにかく、駅事務室についていったら、それでおしまい…ということは肝に銘じたい。
もちろん、痴漢は犯罪行為であり、決して出来心などで許されるものでない。あくまで“冤罪”の温床となりやすい、いまの制度が問題なのだ。