2516 フェルメール展

芸術・デザイン

早く着きすぎたので周辺を散歩する
早く着きすぎたので周辺を散歩

ここ最近、会社が社員の勤務時間短縮に躍起になっているということもあって、事前に申請をすれば通常ならば早退になってしまう16時に帰ってもよいというルールができた。

今日はその制度を初めて利用して、上野にある東京都美術館で開かれている「フェルメール展」 (ウェブ魚拓によるキャッシュ)に行ってきた。

フェルメール展

もともと金曜日は20時まで開館しているので、ふだんの業務が定時終了でも間に合うことは間に合うが、どうせならば、よりゆっくり見学したいということで、17時くらいには上野に着くようにした。

以前は、「フェルメールって名前は聞いたことがある」くらいの知識しかなかったが、いまは絵を見たら、ちゃんとフェルメールが描いたと言えるくらいは理解しているつもり。

金曜日の開館延長に合わせて来館している人も多いようで、展示室内は結構混雑していた。もちろん、今回も音声ガイドを借りる。

新しいタイプの音声ガイドにビックリ

ふつう音声ガイドは、案内された番号を機械に入力してその絵の解説を聞くようにできているが、今回は案内シートに描かれた絵を、ペンのような音声ガイドの機械でなぞると、解説が聞けるような仕組みになっている。

絵のことよりもこの機械の仕組みのことの方が気になって仕方がなかったが、帰ってきてから調べてみると、秘密はこの案内シートにあるようだ。

通常印刷の上に視覚では識別のしづらい特殊印刷を施し簡単にi-タッチペンで触れるだけで音声による情報提供を可能としました。

なるほど。機械の反応もよく、絵をタッチするだけでいいので、とてもわかりやすい。

はじめちょっとビックリしたのは、フェルメール展という展覧会なのに、いつまでたってもフェルメールの絵が出てこないことだった。フェルメールと同時代の作家やゆかりのある作家の作品が数多く、結局フェルメールの作品は7点のみだった。

しかし、そもそもフェルメールの絵は、現在三十数点程度しか残っていないということを考えると、この“7点”が一度に見られるということ自体、かなり貴重なことなのだ。

他の作家の作品も興味深く見どころも多かったが、やはり今回の主役であるフェルメールの作品はさすがに見ごたえがあった。

フェルメールの室内画は、彼の“定番”とも言えるもので、窓からの光に照らされた室内の表現が大変見事だ。見事に光を操っている。「光の天才画家」と呼ばれるゆえんだろう。

見ているうちに、どの室内画も、窓がなぜか必ず左側にあることに気付いた。まぁフェルメールを知っている人ならば、なんてことない事実だろうが、ちょっと興奮。なぜ窓を左側に置くという構図にこだわり続けたのだろうと、あれこれ考えながら、絵を鑑賞する。

今回の出品作品の中で、1枚だけ右側に窓があった絵があった。もちろんフェルメール以外の作家が描いた作品だが、なぜか落ち着いてみられなかった気がする。左側に窓がある方がしっくり来るような気がしたのは、気のせいに過ぎないのだろうか?

なかでも、「ワイングラスを持つ娘」で見せる娘の表情に引き込まれた。

ヨハネス・フェルメール ワイングラスを持つ娘

彼女は、いったいどんな思いでこちらを向いているのか? 何を訴えかけているのだろう? 「とんでもない男だな…」みたいな感じか?ほとんどの室内画が、絵の中で物語が完結しているのに対して、この絵だけは、この絵を“見ている人”(=つまり僕たち)がいるという前提で描かれたように見える。

もう一点、気になった絵は「小路」という作品。

ヨハネス・フェルメール 小路

わずか2点しか存在しないというフェルメールの風景画のうちのひとつらしい。どこの風景を描いたのか諸説あるらしいが、特定の場所を描いたのではなく、おそらく彼の作風を表現できるような題材がちりばめられた、あくまで“空想の世界”であるに違いない。

ヨハネス・フェルメール 小路より

奥にいる女性が、遠くのものほどかすんで描く「空気遠近法」を使って表現されていて、絵の奥行きを感じさせる。なんでもない風景画に、そこに暮らす人の姿が加わった瞬間、絵の雰囲気ががらりと変わる…といった感じの解説に、ただうなずくしかなかった。

振り返ってみると、気になった2作品は、フェルメール展のポスターになっていた作品と同じだったことに気付いた。これはあくまで偶然。

フェルメールの作品は、光に照らされた陰影の表現の素晴らしさはもちろんだが、どれも描かれた場面の空気というか雰囲気がとてもよく伝わってくるようだった。うまく、絵の良さが伝えられないのがもどかしいが、まだ見ていない方は、機会があったらぜひどうぞ。

Posted by ろん