ウィキペディアで何が起こっているのか/山本 まさき

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4861672325 ウィキペディアで何が起こっているのか―変わり始めるソーシャルメディア信仰
山本 まさき

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いつのころからだろう? 何かわからない事象や出来事などがあると、まず Wikipedia(ウィキペディア)を見るようになったのは? いつの間にやら、ウィキペディアで調べるのが普通のことになっていた。

実際、Yahoo!やGoogleといった検索エンジンで検索すると、多くの場合上位に出てくるので、意識するとしないとにかかわらず、ウィキペディアはよく目にする。

調べ物に便利なウィキペディアだが、この本を読むと、まさにいま発展途上にある存在であるということがわかる。これまでに広く伝えられている以外にも、さまざまな問題点やトラブルが起きていることがわかる。

インターネット上のトラブルと言えば、巨大掲示板群“2ちゃんねる”の存在を思い出す。この本を読むまでは、比較対象にすら考えたことがなかったが、トラブルが起きた場合その収拾のためには、むしろウィキペディアの方が、困難な問題が待ち受けているのだ。

それは明確な責任者が日本にいないということだ。2ちゃんねるは言わずとしれた責任者がおり、裁判からは逃げ回っているものの、何かあった場合訴える相手が明確だ。しかし、ウィキペディアは日本に責任者はおらず、何か問題があった場合は、すべてアメリカのウィキペディア財団を相手にしなければならない。仮に裁判を行うにしても、相手は日本にいないというだけでも、その困難ぶりがわかる。

日本のウィキペディアには“管理者”はいるものの、あくまでもボランティアに過ぎず、裁判のような大きな問題に受けて立つような相手ではないのだ。ボランティアに過度の責任を求めるわけにはいかないだろう。

実際にウィキペディアで被害を受けた人は、ウィキペディアは、自覚のない「子どもの運営体制」と言い切る。

 
わずかだけれど、参加してみた

ウィキペディアの特性上、たとえ精度の悪い情報でも、一度は公開されないとチェックすらできない。公開前に発覚することはあり得ないという、問題があるし、仮にそうしたチェックを経て、記事の精度が高まったとしても、その記事全体が、なんらかの意図を持って書かれているかもしれないということは、誰も判断できないのだ。

誰もが自由に参加して作られる百科事典というコンセプトは、本当に素晴らしい。見知らぬもの同士が、記事の精度を高めていくという発想を初めて知ったとき、ちょっとした衝撃だった。

しかし理想を追い続けているだけではいけないということや、実際にさまざまな問題が起きているという現実を、ウィキペディア自体はもちろん、記事編集に参加する者も、それを利用する者も、今一度意識して考え直してみる必要はあると思う。