2462 それでもボクはやってない

社会・政治・事件

B000QJLROI それでもボクはやってない スタンダード・エディション
加瀬亮;瀬戸朝香;山本耕史;もたいまさこ;役所広司, 周防正行
東宝 2007-08-10
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先日、痴漢冤罪事件の裁判を扱った「それでも、ボクはやってない」という映画を見た。もうずいぶん前にテレビでやっていたのを録画したものだが、少しずつ見ていってようやく見終えた。(ここからはいわゆるネタバレも含むのでご注意願います)

それにしても、この見終えた後の、不快な感覚はなんだろう。

刑事裁判の99・9%が有罪となってしまうという、ウソのようなホントの現実が、この映画をフィクションの世界のなかにとどめることができなくなっている。もはや現実そのものなのだ。いくら「やっていない」と言っても、犯人にされてしまうという現実。

もしも、自分が疑われたら、詳細に“事件”発生当時の様子を説明できるだろうか? あいまいな供述に終始してしまい、結局犯罪者にされてしまいそうだ。犯罪を犯したかどうかが問題ではなく「疑われるようなことをするのが悪い」とか「きちんと反論できないのは犯罪を犯したなによりの証拠」のように議論がすり替えられてしまいそうだ。

映画の中で「被告人の利益になるようなことをしても、何のトクにもならない」といった感じのセリフがあったが、まさにそうなのだろう。

こんな裁判ばかりだとしたら、検察や裁判官は信頼に足るのかどうかと、根本的な部分に不信感を覚えずにはいられなくなる。さらには、冤罪を生む可能性のある日本の裁判制度において、死刑が存続していいのか?と思わずにはいられなかった。

その一方、この映画では絶対にやっていないという主人公の立場から描かれているが、これが逆に被害者の側から見たらどうだっただろうか? また来年から始まる裁判員制度によって選ばれた人たちの立場からだったら、どうだろう? 実際には痴漢のような裁判では、裁判員は参加しないが、さらに重い罪に問われそうな裁判の際には、裁判員たちが判断を下すわけだから、その責任は重い。裁判員制度の広報活動が活発に行われているようだが、まずはこの映画を見てもらって、今の裁判制度持っているそもそもの問題点を、ひろく国民に認識してもらうべきなのではないだろうか。

Posted by ろん