2340 うるさい日本が人々を無関心にさせていく(2)

物思いに耽る(雑感)

昨日の続き。

板橋区の防災行政無線は、これまで冬期は17時、夏期は18時に夕焼け小焼けのメロディが流れていた。

そして11月から「このたび児童・生徒の安全確保を目的」という理由で、30分繰り上がった。さらにいままではメロディだけだったのに、ナレーションが入ることになった。

「4時30分になりました。外で遊んでいる子どもたちは、気をつけておうちへ帰りましょう」

なんでナレーションが必要なんだろう? メロディだけならばまだわかる。防災無線が正常に稼働するかどうかのチェックという意味もあることも知っている。しかし、ナレーションは明らかに無駄だ。ナレーションがなくても、よい子は帰るし、悪い子は帰らないのだ。

実際、行政側も、そんなことは百も承知だとは思う。でも、こうした動きになるのは、おそらく注意を喚起したという姿勢を区民に見せたいだけに過ぎないのではないか?目的を達成するための行動が、適切かどうかとか、効果があるかどうかなんてことは、実はどうでもよいのだ。

こうした行政無線から流されるナレーションは、雑音のひとつと化すのは、むしろ自然な流れだ。同様に、駅やデパートでのエスカレータで流される注意なども、雑音になっていると言っても過言ではない。これで注意する人がどれくらいいるのだろう?

スピーカーで流されるたくさんの警告や注意。それらは、もはや何の効力も持たなくなっている。それどころか、うるさいとも思わないのだ。見方を変えれば注意を促そうとしても、自然と聞き流す能力を日本人は身につけているとも言える。

日本人は、うるささに慣れてしまった結果、さまざまなことに無関心になってしまった気がする。

逆に静かな環境であれば、ほんのちょっとの音でも、意識が向いて効果があると思うのだけど。まぁ効果なんて気にしていない人にとっては、どうでもよいことかも。

Posted by ろん