もしもし、運命の人ですか。/穂村 弘

■文学・評論, 龍的図書館

4840118167 もしもし、運命の人ですか。
穂村 弘

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恋愛について書かれた本は世の中に膨大にある。それほど関心の高い分野であり、それだけ難しいことだからだろう。歌人である著者は、恋愛の微妙な機微を独特なタッチで表現するある種の天才だと思う。(以降ちょっと引用が多くなるがご容赦いただきたい)

私は「ときめき」が薄れて恋が水平飛行に変わることを怖れる。何故なら、その次に来るのは下降だからだ。

著者は、「ときめき」が「やすらぎ」に変わるなら何も怖がることはない、という価値を認めつつ、その一方で

私はどうしても「ときめき」が永遠に上昇しつづける、という夢を見てしまうのだ。

上昇が永遠に続くわけもないから…と上昇の角度を抑えてみる方法を著者は提案する。こうした発想は聞いたことがないけど、共感できる部分はある。

友人宅に集まって飲み会かなにかをしていたときのこと。買い出しに行ってくると著者が言うと、それに呼応するかのように、一緒に居合わせた女性も「じゃあ、私も行く」と言ったシーンで。

もしや、あれは「ほむらさんが行くなら」という意味の「じゃあ」ではなかったか。その場合「じゃあ、あたしも行く」=「ほむらさんが行くなら、あたしも行く」ってことになる。
「ほむらさんが行くなら、あたしも行く」
大変だ。
告白だ。
私の未来に大きく影響する情報だ。

この話の展開は凄まじいほどの飛躍を遂げているけれど、でもどこか心当たりがある人も多いのではないだろうか?気になる相手の微妙な発言や仕草は気になるもの。ましてやまだよく知らない相手であればなおさらで、相手から発するあらゆる情報をキャッチしようと自分の持つ全神経を研ぎ澄ます。

文章にするとちょっとおかしいけれど、こうした状況に置かれた当人はいたって本気なのだ。

苺狩りのデート。
「苺食べ放題、時間無制限、コンデンスミルクサービス(但しお代わりなし)」
コンデンスミルクを片手に苺を摘んでは食べていく。
しかし、最初に渡されたコンデンスミルクがあまりにも少なくすぎた。
気付いた時には二人の手も止まっていた。
絶体絶命。
そのとき奇跡が起きた。
男の子の鞄から「コンデンスミルク」が出てきたのだ。
彼はこの“罠”を知っていて、女の子を悲しませないためにあらかじめ「それ」を用意していたのだ。

これだけ見れば、とてもいい話に思える。
しかし、女の子にとっては、実はがっかりしたというのだ。当時を振り返ってこんなことを言っている。

「うまく云えないんだけど、たぶんはじめてのことをふたりで分け合いたかったんだと思う。たとえ、それが一緒に罠に掛かることでも」

著者は、恋愛の純粋さ、難しさ、残酷さ、面白さのすべてが含まれているように感じたという。まさにその通りで、すごく共感した一節だ。相手のことを一生懸命に思う彼は決して間違っていない。その一方で、たとえそれが“罠”であっても共有したかった彼女の気持ちもわかる。そして、こうした感覚も、年齢や状況によってもごろっと変わってしまうのだ。

「今だったらまた違うかも。彼の気配りを素直に嬉しく思えるかもしれない」

恋愛って本当に難しい。神様は、なんて難しい課題を課したのだろう。