2093 「建築家 山田守展」と京都タワー

建築・都市

地下鉄三田駅やJR田町駅にほど近い「建築博物館」で、今月末まで開催されている「建築家山田守展」というのに行ってきた。

彼の名前は知らなくても、京都タワー、日本武道館といった建物ならば、知っている人の方が多いと思う。これらを設計したのが彼だということは、この展覧会をおじゃこに教えてもらうまで知らなかった。このとき思ったのは、これほど有名な建物を設計した人なのに、知名度が決して高くないし、またこれらの建物が評価されているということも聞かないことが、ちょっと不思議だった。

展覧会でもらったパンフレットを見ると、こんなことが書かれていた。

景観論争の標的になったことや過去の建築の引用と見なされたために、主要建築メディアに紹介されなかったこともあって、実はその建築的特徴についてさえ、あまり知られていません。


2006年4月

いまとなっては見慣れてしまった京都タワーも、登場当時はかなり批判があっただろうことは想像に難くない。批判を承知の上で作り上げていくモチベーションはどこから来たのだろうか? 京都タワーができたのは、タワーの前を走る東海道新幹線ができたのと同じ1964年。これは偶然はなく、むしろ新幹線の存在を意識して作られたようだ。千年以上の歴史を持つ京都に、これまでにない全く新しい交通機関が乗り入れてきた。京都タワーは、それを借景として、新しい時代の到来を告げようとしたのかもしれない。

京都タワーの本体は、飛行機や鉄道で使われるモノコック構造と呼ばれる構造で、内部は中空となっている。そうした建築的特徴もかなり先進的なものだった。(京都タワーホームページ


怪しげな京都タワーの蝋人形展示
※手前のカメラを持つ人も蝋人形

しかし40年経った京都タワーの京都における地位は、いまでもあまり高くないように思える。数年前に訪れた京都タワーはびっくりするほど閑散としていて、アトラクションも“あり得ないくらい”安っぽい展示がなされていたのを思い出した。京都タワーに対する複雑な思いについて書かれたページを拝見するとやはり、その想像は当たっているのかもしれない。

建築家の思いとその建物を受け入れる側の思いには、どうしても違いが出てしまう。彼が晩年あまり注目されなくなってしまった背景は、こうしたところにあるのかもしれない。

ただこれだけで彼の業績を決めてしまうことはあまりに早計で、彼の作品全体を再考し、きちんと評価し、今後に生かせるようにするということが大事なのだろう。もっとも、僕は全くの素人なので、今後に生かしようがないけど、建築を考えていく上でのよい勉強になった。

Posted by ろん