1935 ウソ

定点観察

昨日から、憤る(それほどでもないけど)ニュースが多いので、なんだか似たような記事が続いてしまうけれど…

パロマの時もそうなのだが、なぜ間違いなくバレるような“ウソ”をとりあえずついてしまうのか、どうしても理解できないのだ。

千葉市教委が下着泥棒の“先生”を匿名発表 (スポーツ報知

 女性宅に繰り返し侵入し下着を盗んだとして、市立小の男性教諭(43)を懲戒免職にした千葉市教育委員会が19日に記者発表した際、教諭の匿名理由について「被害者からの強い希望」と虚偽説明していたことが21日、分かった。

 20日に報道を見た女性の家族から「(匿名を)強く希望したことはない」などと市教委に抗議があったという。

実名を公表したくないという前提がまずあって、教育委員会の判断で「出さない」とは言いたくないから「被害者の希望」ってことにしただけでしょう? そんな発表を聞いたら、被害者側から抗議されればすぐにバレるじゃない?

それなりに理由があるとか、どのような経緯があったにせよ、あまりにも稚拙な対応といわざるを得ない。何とかなると思ってるのかな? 

“ウソ”には、人をおとしめたり、不幸にすることばかりではなく、人と人とのつながりを円滑にしたり、人を幸せにすることだってある。だから、必ずしもウソがダメだとは思わないし、許されるウソも当然あると思う。

けれど、今回のようなウソは、百害あって一利なし。許されないウソだ。

Posted by ろん