1622 無駄な考え休むに似たり。

定点観察

 なんだか思うようにいかないなぁ…なんて思うことって日常茶飯事。なんでだろう…と深く分析してみたりする。忙しいのに。
 実際これまで生きてきた中で、自分の希望通り物事が運ぶことなんて、ほんと数えるくらいしかない。子供のうちは、駄々をこねるくらいのことしかできなかったが、大人になると2つのコースを選ぶことができる。

  1. 希望通りになるように努力する
  2. 希望内容を変更する

 なんだかくだらないな。
 ただ、できることならば、1の「希望通りになるよう努力」したいとは思うものの、以下の2つの理由によって、そうした努力自体が難しいことがある。

  1. 自分「自身」の問題
  2. 自分を取り巻く「環境」の問題

 自身の問題であれば、その問題を取り除く努力で何とかなるだろう。頑張ればいいんだから。そうではなく、努力を怠るということは、自分の望んでいることの重要度はそれほどでもないと判断することができる。

 ここでひとつの解が見つかった。

自分の希望通りになるよう努力もしないということは、
大したそれは希望ではない

 …

 うーん。大した解でもないかな。でも、それはそれではっきりさせた方がいいと思う。
 ちなみに、これから考える「『環境』による問題」と間違えてはいけないのは、自分の周囲へのお願いやネゴでなんとかなるような場合、「自分自身の努力」という範疇になると思う。お願いで何とかなるのならば、頑張ってお願いすればいいのだ。

 では、もうひとつの「自分を取り巻く『環境』の問題」はどうだろう?ここでいう環境とは、自分が所属するものすべてを指す。家族、学校や会社といった組織、国や自治体、話はでかくなるが人間や地球といったレベルまで含まれる。
 実現が難しい理由が「環境」となってくると、ちょっと話は難しくなってくる。その対象がどれであれ、自分の希望を叶えるために、環境そのものや自分の立場を変えるような行動はそう簡単には取りにくい。多くの場合、自分の努力ではどうしようもないケースや、手に負えない場合が少なくないからだ。それでも、さらに強引に事を進めようとするとどうなるか? 自分の置かれた環境や立場で生きていくという「前提」が崩れる可能性がある。
 そうしたリスクを負ってまで、自分の希望を叶えることがどれだけ大事なのか?天秤に掛けることになる。内容によっては天秤に掛けること自体、うしろめたい行為かもしれないが、避けては通れない。その結果、自分の置かれた環境や立場を変えても、自分の希望を実現したいのであれば、もう何も言うことはない。けれど、やはり環境を変えることはできないと判断した場合…もう答えは限られてくる。

 自分の希望を叶えることと引き替えに、置かれている環境を変えたくない場合は、希望内容を変更するしかない

 …

 理屈をこね回してみた挙げ句、至極もっともな結論に至ってしまった。
 将来この考えが何かに役に立つのか立たないのかよくわからないけど、とりあえず、今回はこんなところで。

 今日の二番搾りは相当な駄文ですね…。

Posted by ろん