369 社内向けメール(旧二番搾り)

定点観察

 昨日、7月1日は日曜日でしたので、ご紹介できませんでしたが、以下のような出来事、お誕生日を迎えられた方がいらっしゃいました。

 1889年、東海道線が全線開通し新橋と神戸の間を20時間で結びました。今だと、何往復できるでしょうか・・・もうすぐ参議院選挙ですけど、第1回衆議院選挙が1890年、タバコ専売法公布が1904年、名神高速道路開通(1965年)、電電公社のポケットベル営業開始(1968年)などが、7月1日でした。
 お誕生日は、川崎敬三(1933年)、浅井慎平(1937年)、山本圭(1940年)、横内正(1941年)、大木凡人(1949年)、田丸美寿々(1952年)、明石家さんま(1955年)、カール・ルイス(1961年)、ダイアナ妃(1961年)のみなさんがお誕生日を迎えました。エルトンジョンが、亡くなったダイアナ妃を偲んで作ったCD「Someting
About The Way You Look Tonight」、「Candle In Wind
1997」を久しぶりに聴きました。

 さて、今日は7月2日。
 ドイツの作家であり詩人であるヘルマン・ヘッセ(1877年)、石坂浩二との離婚も記憶に新しい浅丘ルリ子(1940年)、参議院議員でタレントの西川きよし(1946年)、最近あまり姿を見かけない小柳ルミ子(1952年)、昨日までTBS系でやっていた24時間番組にも出ていたV6の三宅健(1979年)が誕生日です。おめでとうございます。
 パストゥール予防注射に成功(1881年)、ツェッペリン飛行船試験飛行(1900年)、金閣寺全焼(1950年)、何だか知らないけど、うどんの日と、たわしの日みたいです。国際協同組合デーでもあり、国連教育科学文化機関加盟記念日(ユネスコ加盟記念日)とのことです。
 さて、今日は、このうち1900年の今日、ツェッペリン飛行船試験飛行したことを取り上げます。
 最近は、広告用であっても飛行船を見る機会がめっきり減ってしまったように思います。なぜなんでしょうね。
 1900年7月1日ドイツのフェルディナント・ツェッペリン伯爵が、全長128mの硬式飛行船、ツェッペリン1号の初飛行に成功しました。しかし、最初の飛行はわずか18分間で不時着してしまいました。その後、2度の試験飛行を試みますが、資金不足のためツェッペリン1号はあえなくスクラップにされました。ツェッペリン2号は突風にあおられて破壊、ツェッペリン4号は爆発炎上といいことなしで、ツェッペリン伯爵は全財産を投じて飛行船の開発に取り組んだものの、破産の危機に追いやられます。しかし、ドイツ国民の熱烈な支持による多大な寄付金が寄せられ、ツェッペリンの飛行船の研究は引き続き行われることになりました。
 1927年、ツェッペリン127号は、世界一周(途中、日本にも寄ってます)の快挙を成し遂げ、1931年からは定期航路を開設し、飛行船時代がやってきたかに思われました。しかし、その時代はあっけなく終わってしまいました。カンの鋭い方はもうおわかりでしょう。そうです。あの、ヒンデンプルク号です。
 1937年5月6日、ヒンデンプルク号は、ツェッペリン飛行船129号機で、着陸直前に大爆発事故を起こし、乗員乗客97人のうち、乗客13人、乗員22人の合計35人が亡くなる大惨事となりました。ツェッペリン飛行船民間飛行の唯一の死亡事故でした。原因は、飛行船に充填されていたのが、あまりにも危険な水素ガスであったという点に尽きるでしょう。酸素と混ざって引火すれば、大爆発を起こすことは、小学生だって知ってます。しかし、そんな危険な水素ガスを使わなければならなかったのは、当時の政治情勢が影響していました。世界で唯一の不燃性ガスヘリウムを輸出できたのがアメリカであり、ドイツへの輸出を認めていなかったからです。皮肉なもので、この輸出についての署名をするために乗船していたかつての船長もこのヒンデンプルク号の事故で命を失ったとのことです。

Posted by ろん