4145 ぬりえ美術館

駅からハイキングのコースの途中にあった、ぬりえ美術館

今回ははるばる歩いてきてきたが、最寄りは町屋駅か、都電荒川線町屋二丁目もしくは東尾久三丁目だそうだ。

“ぬりえ専門”って、ちょっと珍しいなと思ったら、世界にも類を見ない美術館らしい。

そもそも、塗り絵というものが、海外にもあるのかはよくわからないのだけど。

駅からハイキングのコースにあるからといって、割引になるわけではなく、大人500円。

ぬりえ作家、蔦谷喜一(つたや きいち)の姪に当たる人の個人による運営のためか、展示スペースは、かなりこぢんまりとしてている。

だから、館内に入った最初の印象は、「あれ?これだけ?」という感じ。

しかし、展示は掲げられている作品ばかりでなく、棚の引き出しの中に収められていて、実はけっこうボリュームがある。

壁に掲げられているのは、ぬりえ本の表紙。

鮮やかな、カラー作品なのは、これらが、ぬりえの見本になる目的もあったようだ。

昭和20年代から30年代という、まだ娯楽が少なかった時代の女の子たちに絶大な人気があったという。

引き出しを開けるたびに、その時代を思い起こさせる絵が出てきて楽しい。

「うえきいじり」なんて、現代の子供たちにとって、ほとんど縁はないだろうし、東京タワーが見える昭和30年代の作品は、まさに当時の最先端の風景だったのだろう。

海外のぬりえも展示してあった。

タイトルは、「THE TITANIC Coloring Book」

なるほど、海外でもぬりえってあるんだ。 ぬりえ=Coloring Book

ぬりえの他に、着せ替えも展示。

こちらは、有名人と起用したものが多く、顔だけ写真や似顔絵になっていて、イラストの服を着せ替えるようになっている。

いまでもこういう遊びをすることってあるのかな?

ぬりえって、関心がほとんどなかったが、こうしてあらためて見学すると、けっこうおもしろかった。

4137 記念艦「三笠」

猿島、ヨコスカネイビーバーガーに続き、記念艦三笠に乗り込む。

以前から、記念艦三笠が横須賀で展示されていることは知っていたが、まさか地面に固定されているとは知らなかった。

ちょっと残念な感じがしたが、船は、昭和になる前にはすでに現役を引退しているのだから、時間の経過を考えれば、当然と言えば、当然か。

15センチ砲と、その砲弾が置いてあったが、15cmとはいうものの、かなり大きい。

15センチ砲に玉を詰め込む様子を人形で再現。

ずいぶんと大がかりな作業であったことが分かる。

戦艦や兵器は大型化していっても、明治から大正に掛けての時代は、まだまだ人力に頼る戦いが行われていたようだ。

いろいろなところに入れて楽しい。

鋼鉄製の戦艦でここまで保存されているのは、世界でもあまり例がないようだ。

 

 

 

実は、三笠が浮いていなかった!いうこと以外に、ほとんと知らなかったことがある。

東郷平八郎のことだ。

東郷平八郎と戦艦三笠は、切っても切れない関係で、日露戦争のときに三笠で指揮を執ったのだそうだ。

さっき三笠の前で見た銅像も、もちろん東郷平八郎だ。

その後いろいろ調べてみたら、興味深い話がいろいろ見つかった。

アメリカタイム誌で日本人初の表紙を飾ったのも彼であり、東郷神社の神であり、肉じゃが誕生のきっかけを作ったとされたり、イケメンともいわれたり。

戦艦三笠と東郷平八郎・・・勉強になった。

4109 「ザ・タワー展」を見学

タワーに興味があるということは、以前よりお伝えしているとおりで、今回江戸東京博物館で開催された「ザ・タワー 都市と塔の物語」なんて企画展を知ったら、行かないわけには行かなかった。

天気予報が外れて、肌寒く霧雨が降る土曜日、江戸東京博物館に向かう。

こんなあいにくの空模様のせいか、お客さんがかなり少なく、比較的ゆっくりと見ることができた。

展示キャッシュは、バベルの塔と仏塔の紹介から始まり、高層建築物を作ることが禁止されていた江戸時代を経て、明治に入ると、さまざまな展望施設が誕生する。

これまで何度も行ったことのある愛宕山の頂上には「愛宕塔」、浅草公園には「富士山縦覧場」と、当時の人たちの人気を集めた展望施設が作られたということを初めて知った。

特に、「富士山縦覧場」は、木材と漆喰で作られたハリボテの富士山の形をしていて、大変賑わったらしい。

しかし、暴雨風雨で相当なダメージを受け、お客さんがぱったりと来なくなったため、あえなく解体廃業となったという。

展望施設は人を集めるということで、その後、凌雲閣(浅草十二階)につながっていくようだ。

気球で空高く舞い上がり、パラシュートで降りてくるいうパフォーマンスをしているイギリス人が来日というエピソードもおもしろかった。

なんと、それを当時の明治天皇に見てもらう天覧イベントとして欲しいという願いが叶えられる。

そして凌雲閣だったら、よく見えるだろうと、たくさんの人たちが集まったという。(実際にはよく見えなかったようだが)

また、エッフェル塔に関連した展示も豊富で、知らなかったことがたくさんあっておもしろかった。

万国博覧会のために作られたエッフェル塔が、会期を終え、契約期間が終了し、来場者も減ったたことから、エッフェル塔解体が真剣に考えられていたという。

さらに、解体されないまでも、もはやエッフェル塔とは似ても似つかぬ姿への改造プランが、いくつも紹介されていたのは、とても興味深かった。

また、興味深かったのは、富士山縦覧場にしても、浅草の凌雲閣にしても、なんと、パリのエッフェル塔にしても、どういうわけか、みんな「すごろく」が作られていたということだった。

タワーに上るということが、すごろくの“上がり”に繋がるイメージがあるからだろうか?

浅草の凌雲閣は、関東大震災で倒壊し、通天閣も火災や戦争によって失われてしまう。

その後、東京タワー東京のランドマークとして、通天閣は再建し大阪のランドマークとなった。

都市のランドマークとしてのタワー。

こうして考えると、タワーは、ひとつの街に1つだけということだったのに、東京は初めて、ランドマークとしてのタワーを2つの持つ都市となるんだなぁ…と思った。

吉と出るか、凶と出るか…

凶と出ては困るけど。

こういった企画展が、この時期に開催されるというのは、当然ながら?、東京スカイツリー開業を記念するものだが、今回の展示の中では、東京スカイツリーに関する展示や紹介は、極めてわずかだった。

これは、東京スカイツリーが今年完成したばかりで、博物館として展示できるような“歴史”がないから?なんて思った。

これから作られていくわけで、10年後、20年後には、きっとたくさんの歴史とともに、東京スカイツリーのことも紹介されることになるんだろうな…と。

期待通りの企画展だった。

4107 VOCA2012見学

上野の森美術館で開催中(2012年3月30日まで)の、VOCA展に行ってきた。

VOCA展とは、全国の美術館学芸員、ジャーナリスト、研究者などに40才以下の若手作家の推薦を依頼し、その作家が平面作品の新作を出品するという展覧会。

だから、作品そのものが評価されたわけではなく、評価され推薦された作家たちが競い合う。

いずれも、この展覧会のために作られた作品だから、推薦者は出品作品を見ていないというのは、ちょっとおもしろい。

「現代芸術の展望-新しい平面の作家たち」というサブタイトルにもあるように、出品作品は、現代芸術だが、この現代美術というものは、どうも“とっつきにくく”、理解が難しい作品が多い。

特に、大賞であるVOCA賞を受賞した作品は、あまりにアンバランスで、違和感を感じずにはいられない作品だった。

ふと、作品の前の椅子に置かれていた、解説本を読んでみたら、推薦者も、僕の感じたような違和感を覚えたようだ。

そして、同時に、この絵は、「絵画でなければならないことが表現されてる」「俗受けしない平面作品」といったことも書かれていて、なるほどと思った。

そうか。

もちろん、好き嫌いはあっても良いが、感じたままでいいんだ。

理解しようと思ってはいけないんだ。

確か以前も、似たようなことを感じた気がするが、つい、自分なりの解釈を持ち出して、無理やりにも理解したくなるクセは直らないらしい。

でも、そういうことに気付く機会は、現代芸術の展覧会に来たからこそ、得られたわけで、あらためて、いい勉強になったと思う。

4097 職務に忠実なのはいいけれど…

今日は久しぶりに展示会を見学するため、出社は午後からにして、展示会会場に直行した。

会場が、池袋のサンシャインシティだったということもあり、せっかくなので?JRではなく、都電荒川線で向かってみた。サンシャインシティは池袋駅よりも、地下鉄有楽町線東池袋駅のほうが近い。次いで近いのが、都電荒川線東池袋四丁目電停だ。

霧のような雨の降るなか、都電に乗り込む。

朝の通勤通学の時間帯も過ぎているため、車内は空いているものの、立客も多い。

僕はもちろん?先頭部に立って、前からの風景を楽しんだ。


乗車時間はわずかで、あっという間に、目的地に到着。徒歩数分で、サンシャインシティに着いてしまった。

展示会は開場してそれほど時間が経っていないせいか、来場者よりも、やたらと関係者の姿が目立つ。

・・・。

さっそく入場したが、入口で感じた、イヤな予感が的中してしまった。

じっくり見学ができないほどの、“声掛け攻勢”を受けたのだ。

お祭りの屋台のように通路を挟んで、各社のコーナー(ブース)が立ち並び、その前に、関係者がパンフレットを手に持ち、来場者を待ち構えている。

ちょっとでも関心を持ってもらいたい関係者は、自分のコーナーに立ち寄ってもらいたいと、左右からパンフレットを渡そうとしてくるのだ。

もし、受け取ろうものなら、すかさず説明に入るため、自分のペースで見学ができなくなってしまう。

まして、名刺を渡そうものなら、電話やメールの攻勢を受けることになる。

以前、ノベルティをもらえるからと安易に名刺を渡してしまったことを後悔したのを思い出す。

僕のように、声を掛けられるのを極力避けたいと思う人は、決して少数派ではないはずで、声を掛けられ過ぎることで、商機を逃す可能性も否定できない。

声を掛ける彼らは職務に忠実なだけなのだろうし、僕も同じ立場だったらそうするだろう。仕事なんだし。

そもそも、こういった形式の展示会では、こうなってしまうのも、やむを得ないのかもしれない。

であれば、主催者のほうが、こういう来場者もいることを考慮すべきで、展示の方法を見直してもよいのではないだろうか…と思う。

4066 メタボリズムの未来都市展

「メタボリズムの未来都市展」は、以前からずっと見に行こうと思っていた。4ヶ月もやってて、会期が長いから、いつか行けばいいかと思っていたら、なんと、もうおしまいだという。

慌てて、六本木ヒルズ森美術館に向かった今日は、展示最終日だった。

タイトルになっている、「メタボリズム」という言葉は、日本では、“メタボリックシンドローム”という言葉の影響が強いので、正しく理解されないのないかと勝手に心配してしまう。

メタボリックとは、新陳代謝のこと。

環境に素早く適応し次々と姿を変えながら増殖していく生き物になぞらえた表現だった。

このメタボリズムの中心となったのは、丹下健三、黒川紀章、磯崎新、槇文彦、菊竹清訓、大高正人というそうそうたる建築家たちで、本当にたくさんの建築作品を世に送り出してきた。

1960年から70年代。

高度成長期の日本にあって、メタボリズムは、さまざまなな問題を解決する一つの解だったのだろう。

それは、まるで必要に応じて姿を変えていく生き物のように、都市も建築も大きく変化すべきと。

まさに新陳代謝。

必要に応じて、取り替えるという考え方だった。

この考えは、20年に1度社殿のすべてを建て替える式年遷宮のように、実は日本古来からある考え方というと、単純に「なるほど~」と感心してしまう。

東京湾上に新しい都市を作り上げるという、東京計画1960など、当時計画された、さまざまなプロジェクトが、コンピュータグラフィックスでよみがえっていた。

なんとなく、フジテレビっぽいなぁ…と思うと丹下健三の作品だし、僕が愛して止まないカプセルタワービルっぽいなぁと思うと黒川紀章、江戸東京博物館っぽいと菊竹清訓といった感じで、未完の作品を見て、その作者の実在する作品を想像するのも楽しかった。

その後の日本はどうなったか?

メタボリズムの根底にある「取り換える」という思想は、1度も交換されることのなかった中銀カプセルタワービルの例を見るまでもなく、完全に実現したとは言い難い気がする。

(これらは、本展覧会で、紹介されているわけではありません)

総リセットで、しがらみのない世界を目指したメタボリズム。

未来が希望に満ちあふれてい時代には、それが許されたのだと思う。

メタボリックシンドロームに陥った、現代の日本における解って、なんだろう?

とにかく盛りだくさんの展示だった。もう一回見たいと思ったが、今日が最終日。残念。

4045 熱川バナナワニ園

熱川バナナワニ園にやってきた。

とりあえず、温泉さえ入れればいいかなと思っていたが、チェックアウトが10時ということだったので、けっこう、早めに追い出されてしまった。

そこで、駅から近くて、気軽に行けそうなところ…ということで、白羽の矢が立ったのは、ここ「熱川バナナワニ園」だった。

熱帯植物たちが繁茂す温室を抜けると、突然ジュゴンが現れる。

ちょうど、お食事中のようだった。

草食動物ということで、キャベツやレタスのような野菜を食べるのだそうだ。

これまでのジャングルのような温室とはうってかわって、蓮の花が主役の温室へ。


オオニバスは、子供が乗れるくらいの大きさになるというのは知っていたが、なんとこれが、一年草だったというのは、初めて知った。

ものすごい勢いで巨大化していくということになる。

山の斜面に作られているため、急な階段がいくつもあるので、足腰が弱い方は、ちょっと大変かもしれない。

「よっぱらいの木」だそうだ。

木の形が、酔っ払いが千鳥足で歩いているように見えるということから、その名が付いたという。

まぁ、言われてみれば、そう見えないこともない…

熱川バナナワニ園の英語名は、Atagawa Tropical & Alligator Garden らしい。バナナの文字がない。

続いて、ワニのいるゾーンへ。いま見てきたところとは、公道の向かい側にあって、

ワニゾーンの反対側は、伊豆急の線路になっている。

気にしてみなかったが、車窓から、一瞬ワニが見えたかも。

ワニは、ほとんど動かないので、正直見ていても、それほどおもしろいものではない。

ただ、ほとんど動かないものの、どことなくユーモラスな状態は、見ていて楽しい。

なぜか、水槽の同じようなところに集まってきている。

記念メダルの販売機を見掛けた。

小さいころは、これが大好きで、出掛けた先々で、必ずといっていいほど買っていたものだ。

自分の名前をローマ字で覚えたのは、もしかすると、これのおかげかもしれない。

さらに、分園というのがあって、マイクロバスで移動する。

特に時刻表なんてものはなく、お客さんが来たら、適当に発車する感じ。

分園に向かうバスは、急な坂を上がっていく。2~3分程度で到着。

施設の名称にもなっている“バナナ”は、ここ分園で多く見られるようだ。

ワニばかりでなく、カメやらアライグマあら、他にも動物がいる。

ただ、ジュゴンを除いて、みんな人に目を合わせてくれないのだ。それに、ワニをはじめ、みんな地味な感じだ。

11時に入園して、本園と分園をひととおり見学してちょうど2時間掛かった。

思ったより、見応えがあって楽しかった。

ただ、動かない熱帯植物と、あまり愛想のない動物たちばかりなので、やっぱり地味ではあるけれど。

4030 首里城と玉陵を見学

諸般の事情で、沖縄県へ出張することになった。

もともと、今の仕事では、出張することはないはずなのだけど、どういうわけだか、出掛けることになった。

今日は、かなりいい天気で、まるで航空写真を見ているような鮮明さで、飛行機から富士山がよく見えた。

羽田空港を出発して、無事那覇空港に到着。

沖縄は、鉄道で行けない唯一の県ということもあって、訪問は初めて。

飛行機から出た瞬間から、空気が東京と全然違っていたことに気付く。

空港での注意書きが、沖縄に来たことを実感させる。

お昼は、沖縄そばをいただいて、お客様のところへ。

打ち合わせが終わったものの、打ち合わせ時の内容のおさらいや確認作業などをしていたら、かなり遅くなってしまった。

この時間から帰っても、出社はできないことや、訪問先から近くだったということもあって、世界遺産である「首里城」を見学することにした。

僕にとっては、10カ所目の世界遺産訪問となった。

入口のレストハウスを出て、坂を上がっていくと、守礼門が現れる。

思ったより、かなり小さかった。

さらに坂や階段を上がっていく。どれも、どことなく中国風。

入場料800円を支払い、有料展示エリアへ。

これまた、想像よりも小さかったが、これまで見たことのない建物のインパクトは、なかなかのものだ。


模型で見ると、かつてここではこんな感じだったらしい。

そこに、観光客が途絶えた瞬間を見計らって、ダミーを置いてみる。

正殿の内部に足を踏み入れる。一階と二階に、王座が置かれている。

直に座っていたのかどうかは分からないが、あんまり居心地の良さそうな感じはしない。

ここで、いったいどんな政治が行われたのか、興味が出てきた。


頭上には、3つの文字が
掲げられている

首里城には、たくさんの龍がいる。親近感を覚えずにはいられない。

かなりじっくりと見学したのち、正殿と北殿をあとにする。

古い石垣。よく見ると、なにやら金属製のプレートがはめ込まれていた。

ぱっと見た目は、違いは分からなかったが、もともとあった石垣の上に、復元された石垣が積まれているようだった。

ざっと、首里城を見学したので、モノレールに乗って帰ろうと思ったところで、「玉陵」なる見学スポットがあるのを知った。

せっかくなので、見学しに行く。

見れば、世界遺産に指定されてるようだ。

読みは、玉陵…たまりょう…ではなく…

ふりがなを見ると、たまうどぅん…とある。

…たまうどん?

歴代琉球王国の国王が眠っているお墓である。

入場料300円を支払って、中へ。

入口の建物には、埋葬品の展示や玉陵について解説するコーナーがあった。

そこには、謎のゆるキャラみたいな、「たまちゃん」が、案内役を務めていた。

展示施設を見学し終えて、狭い小さな入口を通り抜けると、玉陵の内部へ。

琉球王国歴代の王の墓にしては、かなり小さく質素だと思った。

死後も勢力を誇示しようというお墓が多いなかで、ここのお墓は、そういうこととは無縁のような気がした。


ここにも、シーサーが…

玉陵をあとにして、ようやくモノレールへ…

4028 雨のなか文京区界隈の施設巡り

今日の駅からハイキングは、御茶ノ水駅。

時折、強い雨が吹くあいにくの天気では、参加者は少なかった。

いつものように、ふだん歩いたことのないところを歩く。中央線快速電車が、歩いている横を通り抜ける。

水道橋駅までやってきた。神田川を渡ると、後楽園ゆうえんちが見えてきた。

神田川と並行に通る坂道を上がっていくと、トーキョーワンダーサイトというところにやってきた。

もともと、見学するつもりはなかったのだけど、せっかくなので?中に入ってみた。

東京都が若手芸術家に対して活躍の場を提供するということで、いつもいろいろな展示がされているようだが、相当独特の内容で、なかなか理解がついていけない。

来年、六本木ヒルズで展示するための制作活動が行われていた。


人形劇に使われる人形らしきものがあったが、その頭を形作っていたのは…

歯間ブラシだった…

3階に上がろうと、階段の途中までやってきたら…

一部刺激的な内容が含まれているいう、その展示は、巨大な頭が激しくぶつかり合うものだった。

あと、もうひとつ、動画(ビデオ)による展示だったが、たしかに好意的に見ることができない人もいるだろうな…という内容だった。

東京都水道歴史館を見学。

2004年6月に訪れた以来、7年半ぶりだったが、展示内容はそれほど変わっていなかったように思う。

それでも、あらためて見学すると、おもしろい。

つづいて、「文京ふるさと歴史館」を見学。

まず「坂道ぶんきょう展」という企画展を見学。

展示は写真撮影不可だったので、載せることができないが、残念ながら期待したほどのおもしろさはなかった。

3~40年ほど前に撮られた坂の写真と最近の写真を並べたり、坂の名前を分類したり、江戸時代に作られた地図に坂がどう記載されているかということがほとんどで、100以上もある文京区内の坂の網羅性にこだわったせいか、なんだか全体的に展示が単調だった。

じゃあどうしたらいいかというと、僕もよく分からないけれど…。

ときどき雨が激しく降る中での、移動だったので、今日はかなり大変な駅からハイキングだった。

3979 「あこがれのヴェネチアン・グラス」展

久しぶりに、東京ミッドタウンに行ってきた。

サントリー美術館で開催されている「あこがれのヴェネチアン・グラス」展を鑑賞するためだ。

ヴェネチアン・グラス…と聞いて、思い出せる情報は…正直何もない。

せいぜい、イタリアのヴェネチアに由来することくらいしかわからない。

で、ちょっと予習していった。

ヴェネチアン・グラスは、古代ローマ時代に起源を発するといわれているが、正確なところはわかっていないらしい。

かつてガラス製品が珍重された時代、輸出で莫大な利益を得ていたヴェネツィア共和国は、技術が国外に流出しないよう、強力な保護政策を取る。

火事を防ぐという名目で、ヴェネチア本島の隣のムラーノ島に、グラス工房や職人、家族を強制移住させる。島外に脱出する者は死罪というくらいの厳しさだった。

島に閉じ込められた職人たちは切磋琢磨し、後世に残るすばらしい作品を生み出す一方、それでも島から逃げ出した職人たちがヨーロッパの各地に散らばり、そこでもさまざまな作品を作り出していったという。

開館からまだ1時間ほどしか経ってないのに、館内は混雑していた。

鉛を含まないソーダ石灰を使用しているのが、ヴェネチアングラス特徴ということらしいが、見た感じだとよくわからない。また、高い装飾性も特徴ということだったが、今回展示されていた作品は、僕が勝手にイメージしていたような、コテコテした装飾ではなく、精錬された感じだった。

興味深いと思ったのは、ムラーノから流出した技術に新たな改良が加えられていったのが垣間見えたということだった。

17世紀、ドイツで作られた、「ダイヤモンドポイント彫りレーマー」は、ダイヤモンドを使ってグラスに装飾を施し、さらに、持ち手のところには、ラズベリーの装飾を施し、滑り止めを兼ねることで、実用性も持たせていたようだ。

また、17世紀末から18世紀頃、ドイツで作られたとされる、鹿形パズル・ゴブレットは、酒宴での余興用のゴブレットだそうで、そのまま呑もうとすると、ガラスでできた鹿が邪魔での呑めないが、台座近くにある小さな穴をふさぐと、あら不思議…サイフォンの原理で、ワインが中央の管を上って、鹿の口から飲めるという。

展示は、ユーラシア大陸を越えて、はるばる日本までやってきたヴェネチアン・グラスも展示している。

江戸時代に作られた、藍色ちろりは、取っ手の捻り方や、口の伸ばし方は、明らかにずっと見てきたヴェネチアン・グラスそっくりだった。

まったく、門外漢の分野だったが、ヴェネチアン・グラスの歴史をたどることで、いろいろと興味深い世界を知ることができて楽しかった。

2011年10月10日まで開催。