3773 忘年会って…?

今年は、なぜか忘年会がほとんどない。

景気の問題…というわけではなく、おそらくは、たまたま…だろう。

それにしても、そもそも「忘年会」っていうのは、考えてみれるととても不思議な言葉だ。

なぜ年を忘れなければならないのだろうか?

「年忘れ」…なんて言葉もあるくらいだから、日本ではごく普通の考え方ともいえる。

忘年会を、英語に翻訳させてみると、Year-end parties となってしまった。

たしかに、決して間違いではないが、ニュアンスは違うと思う。この言葉だと、感覚的には、忘年会より、納会の方が近そうだ。

で、実際に忘年会由来を調べてみる(Wikipediaキリンビール)と諸説あるようだが、そもそも、なぜ年末に、その1年を忘れる…という発想なのかは、よくわからない。

さらに調べてみたら、なぜか国立国会図書館のサイトWeb魚拓によるキャッシュにその記載があった。

「中国では、「忘年」を本来、年の老いたことを忘れる意として「忘年忘義、振於無意」(『荘子』斉物論)のように用い、上下の年齢を問題にしない意にも用いている。これを一年間の苦労を忘れる意に解釈し直したのが、日本人の工夫らしい。
室町時代に「深更に及びて百韻了りぬ、年忘れと謂うべきか」(『看聞御記』)のように「年忘れ」が現れ(略)。」

なるほど、忘れるのはその1年ではなく、自身が年老いたことを忘れる…という意味なのだ。年齢を気にしないという意味と考えるというのも、しっくりくる。

そして日本人は、1年の“苦労”を忘れる…と解釈したというのも悪くない。

由来を知るって、楽しい。

3396 電気走調機

秩父宮記念スポーツ博物館を見学中、おじゃこが「あれ、見てみて」というので、「どれどれ…」と覗いてみたら、一瞬にして目が釘付けになった。目の前に、得体の知れない機械が展示されていたのだ。

流線型の独特の形。

一体これは…

電気走調機「ペースメーカー」とというのだそうで…。

解説によれば…

電気走調機 ペースメーカー
東京オリンピックに向けて、陸上競技の長距離ランナーのトレーニング用に開発され、1961年からしばらくの間、実際に国立競技場のトラックで用いられた。(制作 東芝)
この機械は、世界記録保持者が走るペースをプログラムした穴あきテープに基づいてコントロールされ、制御室のコーチから走者に指示を出すためのワイヤレス受信機が内蔵されている。
(なお、アンテナは現存していません)

当時の東芝の解説パネルも展示してあった。この中で、この機械のことを“電車”と呼んでいたのが印象的だった。

電車?…この色づかい…既視感があった。

かつて国鉄で走っていた特急電車にそっくりなのだ。

このペースメーカーが作られたのは1961年。東海道新幹線が開通するまで、あと3年。このころ東海道本線には、ビジネス特急こだま号が走っていた。日本で一番速い特急だった。このときに使われていた塗装とそっくりなのだ。これは国鉄特急色として、今でもかろうじて見ることができる。

当時の色づかいは、やはりこの色を参考にしたのではないだろうか?

当時の記録映像を見ててもらった。ただし職員の方は、DVDプレーヤーの操作ができなかったため、「おたく、操作は得意?」とリモコンを渡され、自分で見た。

スタート
世界記録のペースに
順調に合わせる選手たち
徐々に差を開いていく
ペースメーカー
ペースメーカー
ぶっちぎりのゴール!

ペースメーカーだけが先にゴールしてる…これじゃ意味ないし…

ビデオは、「選手たちは、ついていくことができなかった…」というオチで終わる。発想は悪くなかったのだろうが、選手の体力向上が優先だったのかもしれない。

約50年の時を経て、こうして実際の機械と対面するというのは、博物館見学の醍醐味だ。

3395 秩父宮記念スポーツ博物館

秩父宮記念スポーツ博物館公式サイトというところに行ってきた。

本当は、もっと早く行く予定だったのに、盗難事件があったため、しばらく閉鎖されていたため、しばらくの間見学が出来なかった。しかし、対策が済んだとのことで、先週5月14日より再会したというニュースを受けてやってきた。

場所は、国立競技場の中。今日は協議会がある生で、付近はやけに賑やかだった。

博物館の入口にあった、なんとも不思議な像。古代オリンピックの種目にあった“馬車競技”をモチーフにしたらしい。近代オリンピックでも14回ロンドン大会(1948年)まで正式種目だったそうだ。

…ということがわかっていても、なんとも言えない姿だ。

博物館の最初は、オリンピックにまつわる品々の展示から。

ブレザーはもちろん、聖火トーチも時代とともに大きく変わっていることがよくわかる。古い時代のトーチは、やはり、たいまつの延長線上にあるイメージか無骨だが、最近のトーチは、スマートで一瞬トーチには見えない姿をしている。


1960年代以降のトーチ

1990年代以降のトーチ

盗難にあったのは、第1回近代オリンピックアテネ大会の優勝メダルだった。

“館内警備の改善”とうたっているためか、職員の人たちが、館内を見回りする姿が何度も見えた。

ただ、“警備”ということに慣れてないせいか、何度もガラスを拭いたり、行ったり来たりと挙動不審にすら思える動きをしていたのが、ちょっと笑えた。

ちなみに、盗まれたメダルは、未だ戻っておらず、レプリカが展示されていた。

展示は、オリンピックにとどまらず、あらゆるスポーツに関連したユニフォームやメダルなどから、マスコットキャラクターまで多岐にわたる。バボちゃんだって、立派な展示品だ。

見学だけでなく、多少参加?できる展示も見られる。東京オリンピックの表彰台の展示では、「御自由にお乗りください」とあった。実物は老朽化してしまったらしく、残念ながらレプリカだけど。

砲丸投げやハンマー投げで、実際に競技に使われる使われる砲丸やハンマーを持つコーナー。重いの一言。

そして最後に、ものすごく気になる展示を、おじゃこから教わるのだ。

博物館をあとにしようとしたところ、係の人にアンケート協力の依頼があったので、さらりと書くと、記念品をもらう。

帽子に取り付けるサングラスだった。

3376 一葉記念館

一葉記念館公式サイトへ。

最寄り駅は地下鉄日比谷線三ノ輪駅から徒歩10分くらい。ちょっとわかりにくいかも。

5000円札の肖像画にもなったくらいだから、もちろん、名前は知っているが、実は作品は読んだことがない。しかし、記念館の展示を通じて、彼女の生い立ちや生きた時代背景などを知ると、いろいろ興味がわいてくる。詳しい解説で、新しい知識を得ることができた。

詳しくは、公式サイトをご覧いただければと思うが、本人の書いた手紙や小説の一部など貴重な作品が数多く紹介されていた。

しかし、注文を言わせてもらえるとしたら、紹介や解説だけでなく、実際にそこに書かれている言葉そのものを“翻訳”してくれたら、もっと楽しめたのに…と思った。

彼女が一時期住んでいた場所が、資料館から歩いて数分くらいのところにあると聞いたので、行ってみることした。

一葉ゆかりの地と示すものは、その碑くらいで、それ以外は、ごく普通の街並みだった。

3371 江戸東京博物館

江戸東京博物館公式サイト

両国駅からはすぐ。何度来ても、常設展示室に入ったときのインパクトは、小さくない。

日本橋を渡り、展示コーナーへ。左手には芝居小屋があって、今日は落語をやっていた。江戸時代も、きっとこんな賑わいだったんだろうなぁ…と思わせる雰囲気は、よくできている。

江戸が城下町として整備されるまでの経緯や、江戸時代の政治や文化、暮らしなど、かなり詳細な展示と紹介がある。

基本的に博物館内は撮影自由。注意すべきは、フラッシュの使用で、これについても、フラッシュ使用OKのサインがある展示品であれば、問題がない。みんな思い思いに写真を撮っていた。

展示品は、盛りだくさん。じっくり見ていったらいくら時間があっても足りないくらいだ。

一昨日行った実家のある川越は、古くから江戸との繋がりが深いため、ところどころで川越が紹介される。より江戸が身近に感じられた。江戸時代に描かれた屏風絵の中の、川越の街の見つけたら、楽しくなった。

まだ江戸時代の展示の見学が終わってないのに、かなりくたびれてしまった。

もしこの場で横になっていいと言われたら、きっと寝てしまうだろう。

また思い出した。実は前回も、同じように前半でくたびれて、後半は、ほとんど見学できなかったということを…。

次回来るときは、見学の順路を逆にしようと思う。

いや、新しい時代から、逆に古い時代に辿っていけるような順路も考えてくれてもいいような気がするのだけれど、難しいのだろうか?

凌雲閣(浅草十二階)の巨大な模型も、来るたびに気になる展示だ。明治から大正に掛けて、当時日本で最も高い建物だった。その浅草から東武線で1駅隣に、いま日本はおろか世界で最も高いタワーが造られているのは、なんとなく不思議な縁のようなものを感じる。

3370 芭蕉記念館

芭蕉記念館公式サイト

都営新宿線森下駅から徒歩数分ほど。

建物の見た目は、それほど古さを感じさせなかったが、中は意外なほど“古かった”。入口のドアがかなり重いし、エレベータ、エスカレータは、なし。車いすの上り下り専用の昇降機が階段に沿って備え付けられている程度だ。

「自分の未発表の作品が他の人に読まれ驚いている」なんていう手紙とか、古い時代にも“俳句を解説”するなんてことが行われいたとか、いずれも芭蕉のものではないものの、興味深い展示はあった。

でも、展示内容が、とにかく難しいのだ。

自分の無知を棚に上げて言うのもなんだが、松尾芭蕉って、具体的にはどんな人だったのか?という根本的な情報も見たいし、展示されている作品の解説ではなく、そもそも一体どんなことが書かれているか?ということも知りたいのに、それが、まったくわからないのだ。

また、おじゃこが指摘していたことだが、解説文の漢字にルビが振られていないため、読めない漢字も少なくなかった。

この資料館は、誰向けなんだろう?とすら思ってしまった。見学者が、少なくなかっただけに、ちょっと残念な気がした。

3369 中川船番所資料館

中川船番所資料館公式サイトへ。

都営新宿線東大島駅から徒歩数分のところ。

江戸時代、川は重要な交通路だった。中川、小名木川、船堀川の交差するこの地にできたのが“中川番所”で、そのすぐ近くに、この資料館がある。

入館してすぐにエレベータで3階の常設展示室へ。

当時の中川番所の様子を原寸大の模型でわかりやすく説明している。また、江戸時代に船運に関する情報なども詳細に紹介している。

展望室からは、かつて見張る対象であった、旧中川がよく見える。

企画展は2階。「江東区にも遺跡はある!」というもので、ちょっと変わったタイトル。江東区は、埋め立て地が多く、ほとんど遺跡が残っていないらしいが、最近になって、発掘されたものがあり、今回はその紹介のようだ。

白河二丁目遺跡(平成19年5月)、門前仲町一丁目遺跡(平成20年8月)で相次いで、発掘されたのが、大量のマガキ(牡蛎)の殻の層が発見されたらしい。地下2メートルに、2~3メートル四方の大きさだそうだ。

これは、時代的には貝塚とは違っているようで、なんのために作られたのかは、まだ謎なのだそうだ。

また土地の利用において、幕府が定めた、武家地、町人地、寺社地という区分に、当てはまらない土地が、江東区には数多く残っているらしく、これがいったいどのように使われていたのかが、わかっていないらしい。

わかっていないことが、いろいろあるというのは、それはそれでなんとなく楽しい。

3361 北区飛鳥山博物館(ぐるっとパス2010)

北区飛鳥山博物館公式サイト。実は、以前も行ったことがあって、行くつもりはなかったのだけれど、近くまで来たので、入館してみることになった。

王子駅からすぐのところにあるが、飛鳥山(実際は山じゃないけど)にあるので、距離よりも時間が掛かる感覚があるかもしれない。

東京都北区付近の歴史についての展示で、ちょうど先日見学した新宿歴史博物館の“北区版”といえる。

そういう点では、かなり似通った解説が多くなるのは必然で、新宿区が比較的、宿場町から商業中心に発展したのに対し、北区は農業を中心に発展したために、展示もそれに沿った内容になっている。

ただ、決定的に違うと感じられたのは、北区には地域柄、大きな貝塚が多く出土していることから、その解説にも力が入っている。貝塚の“地層”は、かなりインパクトがある。

手前に置いたダミー(身長約15cm)と比べると、この厚みがよくわかる。どれだけ貝を食べてきたんだよと突っ込みたくなるが、解説によれば、貝塚からはきちんと埋葬された状態の人骨も発見されているそうで、使命を終えたもの偲び、感謝や再生を込めた“送りの場”と考えられているとのこと。

決して、無類の貝好きだったとか、ただのゴミ捨て場だった…というわけではなかったのだ。

今回は、時間がなかったので、あまりじっくりは見学できなかったが、身近に住んでいるからこそ知っておきたいことや、新たな発見がありそう…なんて思った。

飛鳥山博物館の両隣には、紙の博物館と渋沢史料館があるので、博物館の“はしご”ができる。でも、なぜか、渋沢史料館は、ぐるっとパス2010には、参加しておらず残念。

3552 新宿歴史博物館(ぐるっとパス2010)

今日、ぐるっとパス2010で、訪れたのは、新宿歴史博物館公式サイト。四ッ谷駅から十数分ほどの歩いた住宅地の中にある。

これまでも、駅からハイキングで寄ったことはあったが、展示を見学することはなかったので、今日が初めての見学となった。

江戸時代、甲州街道の起点日本橋から次の宿場町のある高井戸まで17kmと距離がありすぎたことから、その途中にあった内藤家の敷地に新しい宿場を設けた。これを内藤新宿と呼び、いつの間にやら内藤が消えて、新宿となった。

当時の様子を120分の1の模型で再現した展示があった。目線を模型に近づけてみると、当時の賑わいがよくわかる。

たいていの博物館は、写真撮影不可というのがお約束だが、ここでは、展示の一部を“撮影スポット”として認めている。とてもありがたい。


川越の蔵造りを見てるようだ

ダミーがどこかにいる

江戸時代の店蔵や、戦前に走っていた都電(当時は市電)、文化住宅など、原寸大の模型など、見応えは十分。途中でボランティアの方から話を聞かせてもらう。

企画展は、佐伯祐三展を見学。

佐伯祐三は、大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家で、画家生活の大部分はパリで過ごしたそうだが、日本では、下落合に居を構えて、その近辺の絵をたくさん描いている。

重々しくどんよりとした感じの風景が多い気がする。

彼の存在を知ったのは、2009年にポーラ美術館だった。当時見た絵をなぜか鮮明に覚えていて、今回、ポーラ美術館の提供で同じ絵が出品されていて、図らずもここで再会することになった。

もうすぐ、彼の住んだアトリエが記念館として、開館するらしいので、近いうちに行ってみたい。

展示室の入口に、意味深な?展示品が…

近づいて確認してみると、小田急ロマンスカー小田急3100形電車の運転席だった。

ご存じの方も多いと思うが、小田急ロマンスカーは、前方客室からの展望を良くするため、運転席が2階に設けられている。そのため、なかなか運転席を見る機会はない。

運転席には自由に入ることができる。

運転席は、ふつう入れる機会はないので貴重だ。

また3100形で使われていたシートも残されていて、座ることができるようになっている。

でも、なんでここ新宿歴史博物館にあるんだろう…?たしかに小田急と新宿は縁はあるけど、、もっと展示すべき場所があるような気がする…じゃあ具体的にどこか?と尋ねられても困る。

3544 昭和館(ぐるっとパス2010)

昭和館(公式サイト)へ。

九段下の駅を出ると、ちょっと変わった建物が目に入るはず。

これが、昭和館で、昭和10年から昭和30年くらいまでの、戦争の前後を紹介する博物館。

館内は残念ながら撮影禁止なので、詳しい紹介ができないが、召集令状、いわゆる“赤紙”をはじめ、当時の貴重な資料がたくさん展示されている。音声ガイドは無料で貸し出してくれる。

身長15cmのダミーと比べると、音声ガイドの機械の長さがよくわかる。なぜゆえこんなに長いのだろう?と思ったが、これだけ長いと音声ガイドの下の方を持てば、腕を高く上げる必要が無く、楽に聴けるのだ。なるほど。

主に音声ガイドの説明を聞きながら、館内を回ったが、説明がわかりやすく、当時の状況がよくわかった気がした。

同時開催の企画展「版画に描かれたくらしと風景」は入場無料。

これが版画?と思わせるような作品や、昭和初期の様子が鮮やかに描かれていた。風景については、描かれた場所が明示されていたのは良かったのだけど、できれば現在の様子も一緒に写真などで紹介されていたら、もっと楽しかったのに…。