セゾン 堤清二が見た未来/鈴木 哲也

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セゾン 堤清二が見た未来
鈴木 哲也
日経BP社 (2018/9/21)

 

西武百貨店、西友、無印良品、ファミリーマート、パルコといった企業が、ひとつの企業グループに所属していたという歴史は、あらためて考えると、ものすごいことだと思う。

バブル崩壊とともにグループは解体され、バラバラになってしまったけど、いずれの企業も、現在でも特徴ある存在であり続けている。

本書は、この「セゾングループ」をたった一代で築き上げた堤清二の話だ。

日経ビジネスの連載記事に加筆したもので、サイトにも関連記事が出ているが、興味深い話が尽きない。

「西武百貨店」

本書での取り上げる順番は前後するが、西武百貨店には、堤清二の父の意向で入社する。

そして、また政治家だった父の意向により、“無理矢理”1962年ロサンゼルス進出し、40億円という損失を出して、わずか2年で撤退を余儀なくされる。

しかし、これを契機に、流通業の未来について確信を得るのだ。「創造的破壊」的な変革が必要だと。

彼は、逆境に置かれると、そのたびに、それを跳ね除け、むしろそれを力に変えていったようだ。

たとえば、現在の池袋本店に行くとわかるが、極端に長い店舗だ。客にとっては延々歩かされるし、オペレーションもしにくい欠点。

しかし彼は、「この店を長い通りだと思えばいいんだ。途中におまわりさんが立っていても、大八車が通っていてもいい」と言っていたという。

それはもう街そのものだ。

1975年、百貨店のなかに常設の美術館を持ち込んだことは業界初の試みだったが、街の一部という考えもあったかもしれない。

そういえば、つい最近まで、店内に、簡易郵便局が入っていたのも興味深い。

生活雑貨店「ロフト」、音楽専門店「WAVE」、書店「リブロ」…。総花的な百貨店の商品構成を破壊して、専門店並みの深い品ぞろえを目指すべきと考えたという。

「スポーツ館」「インテリア館」デパ地下の先駆け「食品館」をオープンし、より専門性を高めることで、売り上げは増大。

1980年代後半、年間売上高は、日本橋三越を抜いて、百貨店トップになった。

西武百貨店の広告は「おいしい生活。」に代表されるように、特徴あることで知られているが、広告にタレントを使うのを避けていたという。

堤は「既存のものをカネで買うのではなく、自ら作ろうという思いがあったのではないか?」というのだ。

現在の木村拓哉が前面に出てる広告を思い出すと、変わってしまったんだなぁ…と思い知らされる。

興味を引いたのは、閉店してしまったばかりだが、西武筑波店のコンセプトであった「メカトロ店舗」。

これは、自動搬送システムで店内の物流を合理化するもので、いずれ人がやらなくてもいいことを、ロボットがやってくれるのだから、それを視野に入れて仕事をしていくべきだ…と考えてたそうだ。

これを30年以上前に、テクノロジーの進化が人間性を回復すると信じていたというのだから、まさに時代を先取りしていたのだ。

「無印良品」

いまでこそ、プライベートブランド全盛だが、かつては、いわゆる“ノーブランド商品”と呼ばれたものだ。

西友は、ダイエーやイトーヨーカ堂などと比べると、遅れていたため、その起死回生として登場したのが「無印良品」だった。

当初、食品31アイテム、家庭用品9アイテムで始まった「無印良品」は、
「わけあって、安い」を標榜し、既存の商品に対するアンチテーゼであった。

堤清二は、この無印良品に対しては、多大な関心を持っていたそうだ。

欧州の高級ブランドをいちはやく導入し「庶民も豊かになれる」という夢を見させて西武百貨店を日本一に導いたにもかかわらず、「同じセーターでも、ブランドのロゴを付けると2割高く売れる。お客にとって、本当に良いことなのか」と考えていたという。(p.32)

彼の自己否定が、無印良品だった。

無印良品のコンセプトが拡散しつつあったときに、こう述べたという。
「無印良品は反体制商品だ。自由の確保を忘れて消費者に商品を押しつけるようになったら、その段階で無印良品は『印』、すなわち『ブランド』になってしまう」(p.43)

そういった考えからか、衣料品や化粧品などの進出には抵抗があったという。

「ファッションの領域に入ると無印良品ではなくなってしまう」と考えていたようだ。

現在では主要分野のひとつになっている化粧品だが、当初はすぐに賛同だれなかったようだ。

それだけ、無印良品に対する思い入れが大きかったということだろう。

「パルコ」

もともと、京都の百貨店“丸物”が運営していた店舗だったが、西武百貨店の本拠地である池袋で、他社に買われるくらいなら…と防衛的買収だった。

イタリア語で公園を意味する「パルコ」と名付け、若い女性をターゲットとした。

百貨店ではなく「名店街」として再生をめざしたが、これは、百貨店とまったく異なるビジネスモデルだった。

百貨店の自己否定…。ここでも、自己否定が出てくるのがおもしろい。

池袋に続いて、渋谷にもパルコを開店させるが、もともと西武百貨店渋谷店の駐車場用地として確保した土地だったことなどから、あまり積極的な感じではなかったようだ。

池袋といい、渋谷といい、けっして積極的ではなかったパルコが、セゾングループを象徴する存在になっていくのだから、おもしろい。

これも引用だけど…。

セゾングループの強みは、新たな事業を企画する発案力に優れていたことだ。
反面、新規事業を着実に稼げるように育てて軌道に乗せる実行力は弱かった。
「アイデアが形になると興味を失う」と複数のセゾングループ元幹部が指摘するように、堤の性格が影響しているのは間違いない。(p.181)

結局、セゾングループは、バブル崩壊に巻き込まれ、グループを構成していた企業は、多大な負債を抱えて消滅したり、解体されてしまう。

もう歴史の一部になってしまった。

けれど、時代を先取りして、人々をワクワクさせた企業グループがあったという歴史は語り継がれるだろうし、こうした背景を知った上で、現存する元グループ企業を見ていくと、また違った見え方ができるかもしれない。

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