巨人ファンはどこへ行ったのか?/菊地 高弘

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巨人ファンはどこへ行ったのか?
菊地高弘
イースト・プレス 2018-04-07

by G-Tools , 2018/07/15

 

振り返れば、小学生のころは、周囲に大勢の野球ファンがいた。

埼玉に住んでいたこともあってか、西武ファンが多かったが、それと同じかそれを上回るくらいいたのが、巨人ファンだった。

そういった状況だから、巨人か西武以外のファンは、かなり珍しい目で見られていた気がする。

僕自身、スポーツ自体あまり好きではなかったこともあって、友人たちの野球談議とは距離を置いていた。

それでも、1983年の日本シリーズ、巨人対西武の試合の盛り上がりは今でも覚えているし、熱狂的な巨人ファンだった同じクラスの友人が、学校を休んで、日本シリーズを見に行ったことが話題になったのを思い出す。

ナイトゲーム(当時はナイター)で、プロ野球中継があると、レギュラー番組は放送されなくなるから、プロ野球シーズンは、テレビ番組が奪われる感覚になったものだ。

そんな時代を知っているがゆえに、ナイトゲーム中継がほとんどなくなってしまった現在、巨人ファンどころか、プロ野球ファン自体、相当減っているのだろうなということが実感できる。

本書は、タイトル通り、あんなにたくさんいたはずの「巨人ファン」が、どうなってしまったのかを探っていく。

いくら減った言っても、まだまだ巨人ファンは多いはずだが、目立たないのは、巨人ファンが「隠れキリシタン化」したということのようだ。

なんとも言い得て妙だ。

かつて、テレビやラジオをつければ、巨人のことばかりをやっていた時代には、巨人ファンが増えるのは必然だった。

「ドカベン」や「巨人の星」といった漫画も、ファンを拡大させることに貢献した。

そういった意味では、選択肢がなかった時代だったのだ。

その後、サッカーをはじめ、さまざまなプロスポーツが広まってきたり、野茂英雄が道を開いた大リーグの存在は、プロ野球は、けっして巨人がトップではないということを知らしめることとなる。

こうした変化は、ライトな巨人ファンを、元・巨人ファンにしていった。

さらに熱心な巨人ファンにしても、金に物を言わせて、各球団の四番打者を集めてくる、“巨人らしい”金満体質に対しては、自分なりの解釈(=言い訳)をすることで、ある種の「スルースキル」を身に付けて、なんとかファンでい続けようとした。

広沢、川口まではなんとか許せても、当時広島だった江頭を獲得したあたりで、いよいよこれはおかしいのではないか?と思う人が増え、ファン離れが進んだいうくだりは、面白かった。

もうスルーしきれなくなったのだ。

キャンプ地での選手とファンとの触れ合いも、巨人とそれ以外の球団とでは“距離感”が全然違うという話もあった。

巨人ファンなのにソフトバンクのキャンプを見学する人もいるという人のインタビューもあったが、なにも巨人に固執する必要はないんじゃないかと思わせるきっかけになっているようだ。

また、巨人人気が本格化したのは9年連続優勝していたV9ではなく、そのあとの最下位あたりではないかとか、インタビューに答えた駒田のコメントで、かつての巨人は、地方から出てきた高校生が活躍する「ジャパニーズドリーム」であり、スターである象徴と地方の融合とあったが、これもとても興味深い見方だと思った。

にわかファンをどう取り込んでいくか?とか、プロレスを盛り上げるために「流行ってる感」を出すとか、選手自身によるツイッターなどでの情報発信をするべきではないか?といった提案も、ベタではあるけど一考に値する。

いわゆる“清武の乱”にも触れ、巨人の親会社である読売新聞社にも変革を求めているが、実際ここが変わらないと、どうしようもないだろうな…というのは、素人でも思う。

本書全体を読み通してみて、プロ野球のことは詳しくない自分でもわかりやすく、とても興味深い内容だったと思う。

数値や統計を用いた定量的な調査ではなく、フィールドワークが中心だが、さまざまな関係者に接触し、丁寧な調査ぶりが垣間見えた。

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