4457 迷建築の象徴になりそうで…

解体が進む国立競技場(解体作業時のもの)新国立競技場の建設をめぐっては、旧国立競技場が解体された今となっても、混乱が続いている。

採用が決定したザハ・ハディド案は、そのデザインの奇抜さに加え、オリンピック自体がもたらした需要増からくる工賃や材料費の高騰で、大幅な予算超過が確実となってしまった。

その後示された修正案は、「自転車競技のヘルメット」と揶揄されるほど、もともとのイメージとはかけ離れたデザインに…。

旧国立競技場に展示されていた、新しい国立競技場の模型その上、計画の大幅な遅れもあり、増設座席は仮設、屋根はオリンピック後に作るという方針が示されるも、これでもまだ、予算を大幅に超過する見通しとなったことから、一部で、ザハ側への「契約解除」という話も出ていた。

経緯を考えたら、一から見直す方がいいんじゃないか…と思っていたら、事実無根だとして、計画続行を伝えたというニュースがあって、ビックリした。

これは、いったいどういうつもりなのだろう…?

僕は、建築の面白さというのは、この2つにあると思っている。

  • 限られた条件で最大限の効果を具現化すること
  • 建築家や設計者と作品を通じて対話すること

いまの新しい国立競技場案は、そのいずれも満たしてはいない。

このまま強行された場合、悪い建築の象徴になってしまいそうだ。

「こだわる理由」そのものはわからないが、「こだわることができる理由」はわかる。

それは、誰も責任を取るつもりがないからだ。

どんなに批判があろうとも、現行案(修正案)の建設続行ができれば、今の関係者としては、ある意味「仕事達成」なのだ。

そして、ずさんな計画のために、足りない席は仮設にして、屋根はオリンピック後…なんて、起きている問題を先送りにしても、維持コストが、将来いくら膨大になろうとも、気にならないのだ。

もはや、海外のイベントの準備不足を笑うことはできない。

デザインも中途半端、予算も大幅超過することが確実にわかってる計画を強行する理由をきちんと示してほしい。

こういった大きなイベントでは、建築の素晴らしさを知らしめる効果もあるはずなのに、新国立競技場は、絶好の機会を逃しつつある。

逆に、このままでは、建築の世界のイメージを貶めてしまうし、強行して完成したとしても、迷建築の象徴になってしまいそうだ。

今からでも遅くはない。

いまこそ、限られた条件で最大限の効果を具現化して、建築家や設計者と対話できる施設を作り上げてほしい。

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