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龍的思考回路/定点観察

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2008年10月31日(金曜日)

3245 フェルメール展

芸術 — ろん

早く着きすぎたので周辺を散歩する
早く着きすぎたので周辺を散歩

ここ最近、会社が社員の勤務時間短縮に躍起になっているということもあって、事前に申請をすれば通常ならば早退になってしまう16時に帰ってもよいというルールができた。

今日はその制度を初めて利用して、上野にある東京都美術館で開かれている「フェルメール展」 (ウェブ魚拓によるキャッシュ)に行ってきた。

フェルメール展

もともと金曜日は20時まで開館しているので、ふだんの業務が定時終了でも間に合うことは間に合うが、どうせならば、よりゆっくり見学したいということで、17時くらいには上野に着くようにした。

以前は、「フェルメールって名前は聞いたことがある」くらいの知識しかなかったが、いまは絵を見たら、ちゃんとフェルメールが描いたと言えるくらいは理解しているつもり。

金曜日の開館延長に合わせて来館している人も多いようで、展示室内は結構混雑していた。もちろん、今回も音声ガイドを借りる。

新しいタイプの音声ガイドにビックリ

ふつう音声ガイドは、案内された番号を機械に入力してその絵の解説を聞くようにできているが、今回は案内シートに描かれた絵を、ペンのような音声ガイドの機械でなぞると、解説が聞けるような仕組みになっている。

絵のことよりもこの機械の仕組みのことの方が気になって仕方がなかったが、帰ってきてから調べてみると、秘密はこの案内シートにあるようだ。

通常印刷の上に視覚では識別のしづらい特殊印刷を施し簡単にi-タッチペンで触れるだけで音声による情報提供を可能としました。

なるほど。機械の反応もよく、絵をタッチするだけでいいので、とてもわかりやすい。

はじめちょっとビックリしたのは、フェルメール展という展覧会なのに、いつまでたってもフェルメールの絵が出てこないことだった。フェルメールと同時代の作家やゆかりのある作家の作品が数多く、結局フェルメールの作品は7点のみだった。

しかし、そもそもフェルメールの絵は、現在三十数点程度しか残っていないということを考えると、この“7点”が一度に見られるということ自体、かなり貴重なことなのだ。

他の作家の作品も興味深く見どころも多かったが、やはり今回の主役であるフェルメールの作品はさすがに見ごたえがあった。

フェルメールの室内画は、彼の“定番”とも言えるもので、窓からの光に照らされた室内の表現が大変見事だ。見事に光を操っている。「光の天才画家」と呼ばれるゆえんだろう。

見ているうちに、どの室内画も、窓がなぜか必ず左側にあることに気付いた。まぁフェルメールを知っている人ならば、なんてことない事実だろうが、ちょっと興奮。なぜ窓を左側に置くという構図にこだわり続けたのだろうと、あれこれ考えながら、絵を鑑賞する。

今回の出品作品の中で、1枚だけ右側に窓があった絵があった。もちろんフェルメール以外の作家が描いた作品だが、なぜか落ち着いてみられなかった気がする。左側に窓がある方がしっくり来るような気がしたのは、気のせいに過ぎないのだろうか?

なかでも、「ワイングラスを持つ娘」で見せる娘の表情に引き込まれた。

ヨハネス・フェルメール ワイングラスを持つ娘

彼女は、いったいどんな思いでこちらを向いているのか? 何を訴えかけているのだろう? 「とんでもない男だな…」みたいな感じか?ほとんどの室内画が、絵の中で物語が完結しているのに対して、この絵だけは、この絵を“見ている人”(=つまり僕たち)がいるという前提で描かれたように見える。

もう一点、気になった絵は「小路」という作品。

ヨハネス・フェルメール 小路

わずか2点しか存在しないというフェルメールの風景画のうちのひとつらしい。どこの風景を描いたのか諸説あるらしいが、特定の場所を描いたのではなく、おそらく彼の作風を表現できるような題材がちりばめられた、あくまで“空想の世界”であるに違いない。

ヨハネス・フェルメール 小路より

奥にいる女性が、遠くのものほどかすんで描く「空気遠近法」を使って表現されていて、絵の奥行きを感じさせる。なんでもない風景画に、そこに暮らす人の姿が加わった瞬間、絵の雰囲気ががらりと変わる…といった感じの解説に、ただうなずくしかなかった。

振り返ってみると、気になった2作品は、フェルメール展のポスターになっていた作品と同じだったことに気付いた。これはあくまで偶然。

フェルメールの作品は、光に照らされた陰影の表現の素晴らしさはもちろんだが、どれも描かれた場面の空気というか雰囲気がとてもよく伝わってくるようだった。うまく、絵の良さが伝えられないのがもどかしいが、まだ見ていない方は、機会があったらぜひどうぞ。

2008年10月28日(火曜日)

3244 運転士喋りっぱなし

二番搾り(雑感), 鉄道 — ろん

最近、都営三田線に乗るときは、広告放送のない東急の車両を選んで乗っている。たとえ1本早い電車に間に合ったとしても、それは、うるさい広告放送のある都営の車両なので、それを見過ごして、そのあとにやってくる東急の車両に乗るのだ。

気にしすぎかもしれないが、気になるのだから仕方がない。

わざわざ選んで乗った少しでも静かな環境が約束された車内…のはずなのに、今朝はまったく違った。走行中、運転士が喋りっぱなしだったのだ。

都営三田線は、ATO(自動運転装置)を採用しているので車掌が乗務しておらずワンマン運転をしている。そのため一般的な鉄道では車掌の業務である車内放送を運転士が行っているのだ。

ふだんの三田線は、放送は自動的に流れるので、運転士は特段の理由がない限り、放送することはないはずだが、今日は違った。

  • 列車遅延防止にご協力を…
  • ドア付近の方は挟まれないように…
  • 電車は3~4分おきに来ますので…
  • スリ、置き引き、痴漢、盗撮、暴力といった行為に遭われた方…

といったことを、走行中次の駅に着くまでずっと喋り続ける。ひとしきりしゃべり終えると、

  • 重ねてのお願いとなりますが、列車遅延防止にご協力を…

と、また同じことを喋り始める。

ほかの乗客はどう感じていたかわからないが、とにかくうるさかった。どうしてお喋り好きの運転士の相手をしなければならないのだろう?

以前も書いたが、運転士にとって、自分の放送に意味があるかどうかだなんて考えていないのだ。

偶然同じ電車内に居合わせた、うるさいヘッドホン野郎(乱れた言葉遣い失礼)を前にしたのであれば、車両や乗車位置を移れば逃れられる。

しかし、車内放送はもう聞くしかないのだ。逃げられない。どうしてもイヤならば、その電車から降りて、次の電車を待つしか方法がない。

これはやっぱりおかしいだろう?

2008年10月25日(土曜日)

3243 横浜トリエンナーレ2008

芸術 — ろん

横浜トリエンナーレ2008 新港ピア会場

3年に一度の現代美術の展覧会「横浜トリエンナーレ」に行ってきた。前回(2005年)がとても面白かったこともあって、かなり前から前売り券を購入してしまうほど、見学できる日を楽しみにしていた。

そして、今日、ようやく見に行くことができたのだけれど・・・

期待していた楽しみとは違った内容に、戸惑いを覚えた。

前回のようなパッと見ただけで常識的な?理解ができる作品がほとんどないと言っていいくらいで、かなり難しく感じた。しかも作品には解説文がほとんどないのだ。あるのは作品名と作家の名前だけなので、いま目の前にある作品から、すべてを読み取らなくてはならない。

dictatorship of art (芸術の独裁) キャンドル・ライティング・セレモニー

現代美術、特に前衛的な芸術の場合、常識的な判断を越えた表現であることが多々あって、作品を表面的な印象で判断しかねないと思う。作家の意図が伝わらないことも多いと思う。事実、会場で借りた音声ガイドでしかわからないことばかりだったのだ。

そして、今回は映像作品が多かったのも気になった。

映像作品は、見る者をどうしても受動的にさせてしまうのだ。
立体的な作品のいいところは、作品を真正面から直視するのはもちろん、しゃがんでも、斜めから見てもいいし、離れて見てもいい。そうすることで見えなかったり、気づいたりすることもある。いろいろな発見ができる。それに比べて、映像作品は基本的に正面から見るもので、放映時間を拘束されてしまう。最初から見始められればいいけど、多くの場合、放映途中から見ることになって、時間がもったいない…というか、自由に見られないというのはそれだけでストレスだ。

そういった点で、前回と比べると今回は「お祭り」という雰囲気がほとんど排除されている気がした。わかる人だけがわかればいいという感じだ。なかには、15歳未満入場禁止といった展示もあって、このイベントの敷居の高さを感じさせられた。

たしかに、こういった作品は、かなりグロテスクで、見る人が見たらショッキングな映像であったかもしれない。

かなり厳しいことばかり書いてしまったが、非常に興味深く考えさせられたり、はっとさせられるような作品も、もちろんあって、いろいろ学んだことも少なくなかった。

あ=ら=わ=れ

超指向性スピーカーを使った作品は興味深かった。丸い円盤の一面は鏡で、もう一面が超指向性スピーカが埋め込まれている。このスピーカーの前に立つと、突然音が聞こえてくるのだ。その場を離れていくと、ふっと音が消える。鑑賞する者の位置や歩く速度によって、作品がさまざまに変化し、鑑賞する者も作品に“参加”しているという感じで面白い。

ついでに?ダミーも参加させてみた。

ミケランジェロ・ピストレット 17マイナス1

額縁に入った17枚の巨大なガラスを、小槌でたたき割った作品。

当然、この作品はここで作られたもので、たたき割るのに使った小槌もそのまま残されている。こうした非日常の光景は、なぜか見る者の心を揺さぶるから不思議だ。

また、今回は基本的に写真撮影についてはかなり寛容であったことについては評価できる。フラッシュを使用しなければ、すべて認められていた。

あれやこれや言っても、普段接することのないような現代美術に触れることのできる貴重なイベントなので、次回も期待したい。次回開催は2011年。次はどんな内容になるのか、楽しみにしていよう。

ちなみに、今回は大きく3カ所のメイン会場に分散していて、みなとみらい付近を散策しながら見学することができる。時間がなくて行けなかったが、ほかにも、ランドマークプラザや大桟橋国際旅客船ターミナルといった場所でも展示があったようだ。

赤レンガ倉庫1 号館 日本郵船海岸通倉庫

2008年10月20日(月曜日)

鯉降の町も秋深まる

模型(鯉降渓谷鉄道) — ろん

所用があって、鯉降の街に行ってきました。

東京でも、さすがに最近は朝晩冷え込んでくるようになりましたが、こちらは標高が高いということもあって、より早く秋がやってくるようです。

地元の人の話によると、今年は、紅葉が例年よりいくぶん早いらしく、その言葉通り、駅近くの小さな神社(お稲荷さん?)の紅葉とイチョウは、すっかり色づいて、そのコントラストは大変見事でした。

紅葉とイチョウ

先日お祭りをやっていたばかりなのに、時間が経つのも早すぎです・・・

いま、写真を整理して気付いたのですが、写真の奥の方に、懐かしい“ほうろう看板”が見えますね。久々に見たような気がします。

2008年10月16日(木曜日)

3242 園児の涙から見えた大人の狡賢さ

二番搾り(雑感), 社会・政治・事件 — ろん

道路建設予定地に作られた保育園の畑が、大阪府の強制代執行によって撤去されたという。ニュースではこんな感じで伝えられた。

 保育園の職員や保護者らは「子供たちが育てたお野菜です」などと記されたプラカードを掲げ「子供たちの野菜を奪う権利が橋下知事にあるのか」と声をあげ、あたりは一時騒然となったが、府は周囲をフェンスで囲い、敷地内を立ち入り禁止とする措置を取った。野菜畑には登園前の園児も立ち寄っていたが刈り取られた野菜を前に涙ぐむ場面も見られた。

このニュースのポイントは、「大阪府の強硬な態度に疑問を持つ」ということが一般的な見方かもしれない。子どもたちの気持ちを踏みにじるなんて許せない…なんていう声もあるだろう。記事のタイトルからも、そうした思いを感じてもらおうという意図がありありと見える。

しかし僕には、大阪府の態度よりも、この保育園の態度の方がよほど問題に思う。

まず一番最初に思ったのは、なぜこういった強制代執行が行われている場所に園児たちがいたのか?ということだ。園児たちが取り囲めば、強制代執行が取りやめになるとでも思ったのだろうか? さらに泣いてくれれば、マスコミにとって“いい絵”になるはずで、それが取り上げられれば、自分たちの交渉に有利に働くと考えたとしか思えない。園児たちを利用しようとした大人たちの“狡賢さ”を感じずにはいられなかった。

記事によれば5年前から用地買収交渉が始まっていて、それを保育園ずっと拒否し続けてきた。そんな問題のある場所に畑を作ってきたのだ。そして園児たちには、この畑がどういった状況に置かれているかなんて知るわけがなく、今回の強制代執行は、単純に自分たちが心を込めて作ってきた畑を壊しに来たという風にしか見えないわけで、そりゃ涙も出るだろう。トラウマにだってなるかもしれない。

そして、もっとも気になったのは、先述のような「子どもたちの気持ちを踏みにじるなんて…」と、このニュースを読んで憤った人たちが結構いるとということだった。この記事のことを書いたブログを読むと、「許せない」とか、「橋下知事ひどい」とか、「辞めろ」といった意見が少なくない。

そんな“単純な反応に軽い戸惑いを覚える。

保育園の目論見は当たったのかもしれないが、どうも腑に落ちない。いろいろ考えさせられる。

2008年10月12日(日曜日)

3241 久しぶりの駅からハイキング-桶川

旅行・見学・イベント — ろん

かなり久しぶりに駅からハイキングに出掛けてきた。場所は埼玉県桶川市。かつて住んでいた川越からはバスが走っているので、ときどき地名は目にしたものの、ふだん全く縁のない街だ。

乗り継いだ赤羽駅から、快速“アーバン”で約30分で、高崎線桶川駅に着く。

かつては、中山道の宿場町として栄えたといわれているが、駅もその周辺も、「これといって特筆すべきところがない」と言いたくなるような、まるで印象の残らない雰囲気に、かえってビックリする。

あとで調べてみたら、今回歩く方向とは反対側の、桶川駅東口に旧中山道が通っているとのことで、なんにもないのは致し方あるまい。

東京のベットタウンとして、スーパーや公園など、とりあえず生活には不自由しなさそうだ。

しばらく歩くと、視界が開けてくる。

埼玉県立桶川西高校にやってきた。

「ハートフル桶西水族館」という、全国に2つしかないという高校水族館がある。“2つしかない”というところがなんだか残念だが、珍しいことは確かだ。

駅からハイキングの人たちが一気にやってくるものだから、入口は長蛇の列。しばらく待ってようやく入ってみると、そこは懐かしい理科とか化学や物理といった“実験室”だった。

水族館は、高校生たちが中心となって管理運営をしていて、来訪者への案内や解説なども高校生がやっているようだし、水族館のポスターは、高校のパソコン部が作っている。こうした施設があるおかげで、ふつうの授業では学べないようなことが学べて、よい試みだと思った。

机の下の椅子も懐かしい。理科室とか家庭科室、美術室では、たいていこういう椅子だった。

今回の駅からハイキングは、JRの社員やJRから派遣されたアルバイトの人たちは、まったくと言っていいほどいなくて、ほとんどが、おそらく地元のボランティアの方々だった。

今回のコースの“目玉”のひとつである、泉福寺にやってきた。

ふだんは公開していない「国宝」(実際は、重要文化財?)の阿弥陀如来像が公開されている。

阿弥陀如来像は、この収納庫に収められているようだが、言われてみなければ絶対にわからないくらい目立たない小さな建物だ。

ありがたく拝ませてもらう。

さらに歩いていくと、遠くから笛の音がしてきた。

神社の境内に人だかりができている。お祭りのようだ。

駅からハイキングで配られた地図によれば、「三田原のささら獅子舞」というものらしく、お面をかぶった獅子が、なんとも言えない奇声をあげながら踊っていた。詳しく調べてみようとしたが、桶川市指定の無形文化財に指定されているということくらいしかわからなかった。

指定のコースをちゃんとたどると、15kmもあって、久しぶりに歩くにはハードすぎるため、今回は途中でショートカットすることにした。

本来のルートではないので、こんな未開通の道路を歩いて帰る。

空を見上げると、ここからすぐ近くにある、ホンダエアポートから飛び立ったセスナ機が見えた。ホンダエアポートは、日本で唯一の飛行船の基地になっていて、遊覧飛行もできるのだけど、人気ですぐに売り切れてしまう。

ちなみに、今回歩いたコースの足元には、ドングリやクリ、そして飛行船をイメージしたマンホールなんかもあった。

 

2008年10月08日(水曜日)

3240 みんくる

交通 — ろん

都営バスのキャラクターは「みんくる」という。

みんくる

“みんなのくるま”というのが由来だそうで、バス停を始め、都営バスに関わるあちこちの場所でその姿を見ることができる。都営バス正面の左上にみんくるステッカー

なかでもバスの車体に貼ってあるステッカーは、バス正面の行き先表示器のすぐ左にあるので、よく目立つ。

何気なく見過ごしてしまいそうになるが、実は、このみんくるが何種類も存在するということを知っている人はどれくらいいるだろう?

東京都交通局のニュースリリースによると、去年(2007年)1月に貼られたステッカーは11種類。さらにもう1種類“シークレットみんくる”がいるらしく、23区でたった1台存在するとのこと。

1467両(2006年現在)のうちのたった1台!

よく、こんなことを考えつくものだと感心するとともに、都営バスを見るたびに、みんくるの形を見てしまうようになった。

しかし、11種類の形を覚えられないため、これまでにどのみんくるを見たか、すぐ忘れてしまう。だから、仮にシークレットみんくるを見かけても、たぶん気付かないような気もする。

2008年10月04日(土曜日)

3239 こんな土曜日

テレビ・芸能・メディア, 二番搾り(雑感) — ろん

ここ最近めっきり涼しくなって、半袖で外に出ると肌寒さを感じることもあったが、今日は比較的暖かかった。

そういう雰囲気はきちんと伝わるようで、2週間ぶりにセミの鳴き声を聞いた。ツクツクボウシだ。今年はいつまでセミの鳴き声が聞こえるんだろう?と意識していたが、最後に聞いたのは9月23日だった。

もう聞くこともあるまいと思っていたが、おそらく今日が本当に最後だろう。

そんな土曜日の夜。長年見ていた「ブロードキャスター」が終わり、今週から新番組「情報7days ニュースキャスター」が始まった。司会/メインパーソナリティに相当するのは、TBSアナウンサー安住紳一郎とビートたけし。

さすが、ビートたけし。ふざけながらも、的確なことを的を射る話も織り交ぜてくる。しかし、どうもしっくりこない。やはり、これまでの“落ち着き”からは、あえて一線を画しているのかもしれない。

あとVTR放送中の画面左上に、出演者の表情が小さく写っていた。最近の情報番組でよく見られる手法だ。個人的にあれはイヤだ。別に出演者がどういう表情をしていようと、視聴者である僕にとっては関係ないのに・・・。

あの画面の目的はなんだろう? 番組の途中でチャンネルを合わせた人に対するアピールか?、それとも出演者も視聴者と同じように見てますよというアピールか?いずれにしても、そうしたアピールが必要な理由はわからないが、放送する側の必要以上の押しつけに思えてしまう。

国会や政治家をちゃかすようなナレーション、紋切り型のお年寄りのような「○○なんじゃ」といった意味不明の言い回し。

無理しているような木がする。空回りしている感じがする。

番組全体を通して、それなりに面白いとは思ったが、落ち着きを求めたらダメな番組に生まれ変わったのだ。残念ながら、これまでのように、ビデオに撮ってまでは見ることはなさそうだ。

2008年10月01日(水曜日)

3238 系統番号

交通 — ろん

以前からちょっと気になることがある。

ふだんの生活中ではあまり路線バスに乗る機会はあまり多くないが、バスの系統番号のことだ。

路線バスの多くは、バスの行き先や走行する路線を区別するために系統番号を掲げている。たとえば、浅草雷門行きだと[草64]とか[草43]、王子駅前行きだと[王40]といった具合だ。

同じ行き先でも走る道路が違う場合、この系統番号が役に立つ。

で、気になるのが、この呼び方。

先述の例では、[くさ、ろくじゅうよん][くさ、よんじゅうさん]、[おう、よんじゅう]と読めばそれはそれで通じると思う。

しかし、このバスの系統番号はどう読んだらいいだろう?

[業10]

・・・

・・・

[ぎょう、じゅう]?

行き先は業平橋駅(=なりひらばしえき)だが、“橋”はともかく“業”と“平”が分割されてしまうと、“なりひら”と読めないので、

[なり、じゅう]

というのは、ちょっと変…。

[なり(ひらばし)、じゅう]

という感じで、勝手に補ったほうがいいのだろうか?正式な呼び方って何だろう?

日本人ならば、これくらいの悩み?で済むが、外国人にはかなり難易度の高い問題だと思う。ここはひとつ、地下鉄同様、アルファベットで表示するようにしたらどうだうか?

お年寄りだってアルファベットくらいは読めるだろうし、アルファベットならば遠くからでも認識しやすい。系統番号がかぶるかもしれないが、アルファベット2文字にしてもいいし、数字と組み合わせれば、問題はないだろう。そもそも、それほど長距離を走っているわけではないのだから、離れた地域であれば多少重なっていても問題はないはずだ。

もし僕が外国人で東京を訪れたとしたら、これほど歩きにくい街はないように思う。地下鉄は多少改善された気がするが、特に路線バスを利用するのは相当難しいだろう。

オリンピック招致や、海外からの観光客誘致に積極的な東京都には、ぜひ真剣に検討して欲しい。