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雑司が谷旧宣教師館


建物情報

設計
J・M・マッケーレブ
所在地
東京都豊島区雑司が谷1-25-5
用途
住宅
建築面積
113.03m2
構造
木造
階数
地上2階
竣工
1907年(明治40年)
最寄駅
雑司ヶ谷(都電荒川線)
リンク
雑司が谷旧宣教師館

雑司ヶ谷霊園の周辺は、静かな住宅地が広がっている。池袋駅からはそう遠くないのだけれど、この静けさは、あの喧噪が目と鼻の先にあることを忘れさせる。

旧宣教師館の建物の前までは、わずかな距離だけれど「旧宣教師館通り」と名付けられている。

建物は無料で入館できる。お年寄り十数人の先客が、旧宣教師館をあとにすると、ほかに訪問客はいなくなってしまった。静寂があたりを包む。

1907年(明治40年)に日本にやってきたアメリカ人宣教師J・M・マッケーレブが自らの邸宅として建てたもので、東京都豊島区内で最も古い近代木造洋風建築で、東京都内でも数少ない宣教師館として貴重な建物となっている。
建物は、19世紀後半のアメリカにおける郊外住宅の特色がよくあらわれているという。

まず外観で目につくのは、玄関のすぐ脇の張り出し窓。窓ガラスの桟にも特徴がある。

建物内部から見ると、わずかに張り出しているだけなのに、それ以上に部屋がとても広く開放的な印象を受ける。

外壁に特徴のあるシングル様式と呼ばれるデザインで、きわめてシンプルながらも、さまざまな意匠が凝らされている。

玄関のポーチには、カーペンターゴシック様式の“方杖”(ほうづえ)が施されていたり、屋根にもちょっとしたデザインが見られる。
建物の裾部は外側に広げられ、雨による腐食防止と見た目の安定感にも貢献している。


暖炉を中心にして、1階と2階はほぼ同じように部屋がTの字のように配置されている。これは建物の中心に煙突が通してあるとのことで、機能的にできている。

また、いくつかある暖炉の中でも、一階居間の暖炉は、アールヌーボー風のタイルが用いられ、最も優れているといわれている。

ちなみに暖炉の燃料には、薪や炭ではなく石炭だった。




暖炉に施された彫刻

1階の暖炉

2階の暖炉

家具が置かれていないせいもあるのかもしれないが、部屋の中がかなり広々としている。案内では“ベランダ”と称されていた部分(下写真右)は、サンルームのような感じで、とても暖かい。暖炉といいベランダといい、かなり入念な寒さ対策をしていたことが垣間見える。


階段を上がったところにある部屋は、なんとかつて浴室だったらしい。かつての日本の住宅では考えられない作り。建物の外側にタンクが据えられ、水をくみ上げるようになっていたらしいが、改装されてしまい、浴室が具体的にどのような様子になっていたかはわかっていない。現在は、参考資料を閲覧するスペースになっている。(下写真右の奥の部屋)


 アメリカ風の建物ながら、天井の格子には竹がふんだんに使われていている。



かつて、マンション建設のために取り壊される計画もあったらしいが、豊島区が土地とともに買収し、1989年(平成元年)から一般に公開しているという。こうした貴重な建物が知らず知らずのうちにどんどん失われているのかもしれない。そんな中で、こうしてきちんと管理されて余生を送っていることを知ったら、マッケーレブさんもさぞかし喜んでいることだろう。


■おまけ
都電荒川線はすぐ近くを走る 都電の駅からは霊園を横切ると近道 建物の前は“旧宣教師館通り”

建築マップ 雑司が谷旧宣教師館
最終更新日:2007年1月13日
作成日:2007年1月13日
作成者:ろん (この記事でご意見等ございましたら、こちらへ)
 

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